カテゴリ:雑感
初 夢
=その年最初に見る夢。元日の夜または正月二日の夜に見る夢。 などと大辞林には書かれている。 それからすると私のこの夢は、大晦日に夜更かしの結果、元日になってからベッドにはいって眠ってから見た夢なので無理やり初夢だということにしておく。 前にも書いたような気がするが、私は高校時代の理数系の成績の悪さが今でも深く心を抉るトラウマになっていて、高校時代の数学や物理の授業前に慌てている夢を今になっても半年に1回くらいは見てしまう。 今年の初夢が、イヤなことにずばりソレだったのだ・・・ だいたい夢の中の私はもう、授業前で頭が動揺のあまり崩壊しそうになっている。(いつもこのパターンだ) ほとんどの場合、私はすでに学校を何かで休んでいるというシチュエーション。 しばらくぶりに学校に来たら、もともと得意でない数学や物理の進度だけが順調に先に先に進んでいて、自分はもう教科書のどこをやっているのかもわからないという状態。 今、学校で教えている場所がわからないどころか、それまでに習っているはずのところでさえ理解できてもいないのに、という焦燥感のあまり、オシッコをもらしそうな顔で学校に着く。 周りの友達が頭を寄せ合って授業前の予習に興じているところに自分も遅ればせの頭を突っ込む・・・多少パターンは違っても、ほとんどの場合、私のこの夢はこの「出遅れ」から始まるのがどうもお約束らしい。 さて、今回は(爆)久しぶりに学校の数学の授業に出たら、どうやら統計・確率の授業のところまで進んでいるというストーリーの夢だった。 うーん、関数だとか微積分を今日いきなり授業で当てられて立ちすくむするよりは、統計・確率のほうが若干でもましかもしれないと密かに思ったりする。 すでに予習用のプリントがみんなに配られていて、そのプリントに書かれている内容について同級生があーだこーだ言っているところに首を突っ込む私。 ええ~?でも私のプリントはどこ?ないよ~~~。 そのプリント、実は配られた段階で全部で5枚ほど足りなかったため、前の授業でもらっていない人の分は今日、先生が持ってくるのだという。 確かに休んでいた私が悪いのだが、私は数学ができないのだから、誰か得意な人が先に私にプリントをくれないかなぁと思ってもみるがそれはどうやらムリな話なようだ。 その時、同級生の野中さんという優しい女の子が私にプリントを見せながら少し説明してくれた。 「ちゃとさんな、このプリントに書かれていて今日習うのは『ひょん学』のことやねん」と言う。 「ひょ、ひょんがく?」 「そう、『ひょん学』」 ピアノのうまい野中さんは、いつもの穏やかなにこにこ顔で「ひょん学」なる、数学に似つかわしくない言葉を繰り返す。 「ひょんがく・・・って?」 当然、私は聞き返す。 休んでいた間に「ひょん学」のちょっとした説明くらいはあったかもしれないが、私はそんな言葉は聞いたことない。 言葉も聞いたことないというのは大きな問題だ。 古い香水のように中身は抜け切っていても、三角関数や微積分、放物線・・・といった言葉自体は覚えている、が、その「ひょん学」なんていうのはどこかで見た覚えも聞いた覚えもない。 野中さんが説明してくれる。 「つまりね、ちゃとさん。こういう数学の確率の概念の中には一つ特別な場合があるんよ。ほら、よく人間って『B>ひょんなことでナニナニとナントカする』みたいに言うよね。ああいう時の『ひょんな』時っていうのは、そうではない平常の時とはまた区別して、多少の偶然性を加味して確率を考えないといけないわけ。その偶然性の加味については特別の係数が別にあって、このプリントはその『ひょんな』時とその時に計算に使う係数についての規則が書かれてるんよ。 それでね、確率学の中で、この『ひょんな』時を考える確率の学問のことを『ひょん学』という呼び名で区別してるわけ」 野中さんのその説明を聞いたか聞かないかで目が覚めた。 2007年1月1日、午前8時20分頃。 私はベッドからがばっと跳ね起きると、トイレにも行かず、もちろん顔も洗わずに、そのままPCの前に座ってYahooで検索してみた。 「ひょん学」 次の条件に一致する情報は見つかりませんでした。 ・検索キーワード:ひょん学 まったくアイソなしの検索結果。(あたりまえか) 野中さんが夢に出てきたことはこれまで一度もなかったし、今回、彼女が夢に出てくるまで、もう何年も野中さんのことを思い出したこともなかったのだが、彼女が突然夢に出てきて説明してくれた「ひょん学」は、えらい説得力があったのだ。 夢の中の荒唐無稽な話とは言え、あまりにも出来すぎた筋立てに自分でも思えた。 ベッドからPCのあるリビングルームに移動する間も口の中で「ひょんがく、ひょん学か・・・」と実際に言ってみた。 数学が苦手な私だからこそ、本当はこういう狭義の法則がちゃんと存在していて、無意識にどこかでその名前を見たか読んだかで覚えていて夢に見たのかもしれないし、だとしたら私はかなり頭がいいのではないかと、心の中でちょっとわくわくしながら検索してみたのだが、完璧な虚構に終わってしまった。(爆) この初夢が、今年一年こういう虚構でわくわくするだけで終わるという暗示ならば、それはそれで困ったものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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