カテゴリ:映画
仕事が終わって、電車が遅れていないかネットで調べようとしていた。
その前にちらっと見た朝日新聞の芸能欄に「ドイツの俳優、ウルリッヒ・ミューエさん死去」書かれているのを見て、あっと思った。 あの人だ。 ドイツ映画「善き人のためのソナタ」に出ていたあの人だ、と思った直感が当たってしまった。 この人の名前はもちろん、この映画を観るまでは知らなかった。 どこかの時点で書こうと思っていたが自分の中で埋もれてしまっていた「善き人のためのソナタ」 今年2月のアカデミー賞で外国語映画賞を受賞したドイツ映画だが、どう考えても大ヒットするタイプの映画ではなかった。 3月以来、何度もこっちと日本を往復していたどこかの段階で機内で観たこの映画、これまでここでひとことも触れなかったにも関わらず、重く凄烈な印象となって今もしっかり残っている。 ***** 場所は東ベルリン。 まだ秘密警察ともいうべきシュタージが健在で、とにもかくにも一般市民は密告と盗聴を恐れ、およそ本来の人間らしいささやかな幸せを求める生活もままならなかった1984年。 (数字で見れば20年以上経っているが、私の中では1984年はそんな昔には思えない) ヴィースラーは国家に忠誠を誓う敏腕のシュタージ局員で、警察学校(あるいは大学か?)でスパイを見破る演習(この場面から始まるが、息を呑む緊張感が漂っていた)で生徒を圧倒し、通常任務では、これと睨んだ反体制派・リベラル主義の人間の私生活にスライムのように入り込み、僅かな発言や行動でそれらの人々を厳しく取り締まり、圧迫・阻害・粛清へと追い込んでいく毎日を送っていた。 ある時からヴィースラーは、反体制派の嫌疑がかかる劇作家と恋人の監視プロジェクトを開始する。 劇作家のアパートには盗聴器が仕掛けられ、ヴィースラーは昼夜を分かたず2人の行動や言動を監視する。 しかし、そのうちにヴィースラーはこの劇作家と恋人の間に終始流れる芸術への思いや、人間らしい葛藤に知らず知らずのうちに影響を受け始めていく・・・ ***** 当時の東ドイツの社会性とはこういうものだったのかと、よくも悪くも考えざるを得ない映画ではあったが、全般に流れる暗さの中にも格調のようなものがいつも漂っていたのは、このウルリッヒ・ミューエ演じるヴィースラーの眼の力に秘密があったのかもしれない。 誠に地味な俳優ではあるが、その背中や首筋に旧軍隊の折り目のようなものが確かにあり、例としてはまったく対極にあるが、ジェームズ・ボンドVSウィースラーと言ってもおかしくないようなかっこよさ(もしくはイタリアのフェラーリVS旧東独のトラバント)さえ感じたが、もちろんそれは好感を伴うかっこよさではない。 説明しにくいが、ダサさの中に冷たさと貧しいが凛とした品格が同居しているような。 それが本人の持ち味なのか役作りの結果なのか、今となってはわからなくなってしまったが、とにかくこの映画のラストシーンに私ははらはらと涙した。(決してぎゃーぎゃー泣く号泣、というのではなく、あくまでも「涙はらはら」だったのだ) 但し、全体で2時間17分の長さのこの映画の中盤には若干、冗長な部分もあったように思う。 なんとかもう少しうまく整理・編集すれば、さらに鋭さが際立った映画になったのでは、という技術的な欠点も少し感じないでもなかったが、それでもこの映画のテーマは非常に秀逸といわざるを得ないだろう。 パターンが違う映画なのでいちがいに比べるわけにもいかないが、同じように重く冷たい魔法がかかった人間の残酷さと、それでも最後まで決して朽ち果てない良心のバネを描く映画として、もしも「シンドラーのリスト」とこの「善き人のためのソナタ」が目の前にあったとしたら、私は迷いなく、この「善き人のためのソナタ」を取る。 この一作でしか見たことのなかったウルリッヒ・ミューエ氏の冥福を祈りたい。 享年54。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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