カテゴリ:友人・知人
相変わらず週末はおかんに電話。
土曜に話している間に、これからのシーズンはそういえばブドウだ、と思い出し(イギリスにいるとどうしてもそういう「旬」という感覚が薄れてくる)「ブドウ、送ったげよか」という話になった。 おかんはとにかく私が余分なお金を遣うということがイヤな人なので遠慮しまくっていたが、もともとが大のブドウ好き。 「ええやんか~、遠慮せんと~」と私が押しまくり、最後はしぶしぶ(びみょーなところだが)「ほな頼むわ、おおきに。えらい悪いこっちゃな」と言ったおかん。 甲府から送らせようか岡山からにしようかと迷っているうちに、なんと和歌山の有田で、評価の高い森園という農園があることに行き当たったので、試しに3kgの家庭用(ちょっとお使い物にはできないが自分で食べるにはちょうどいい)の巨峰を送るように手配。 配達日指定をしなかったので1週間くらいはかかるのかなと思っていたら、注文した翌日の日曜に発送しましたという返事が来たので、またまたおかんに電話。 月曜の夕方に届くので、家にいて受け取ってもらわないと困る。 それを伝えようと思って電話したら、おかんが開口一番「あけみがお父さんのお参りに来てくれたわ」と言った。 やっぱり・・・ 来るのではないかという気がしていたのだ。 以前もあけみは一度、私がこっちにいるにも関わらず(笑)何か思うところがあったようで、うちのおとんに話を聞いてもらうべく実家を訪ねてきたことがあった。 そのもっと前にあけみの実家で出してもらった番茶を私があまりにも絶賛したもので、その時の番茶(曜日を決めて近所まで売りに来るお茶屋さんから買って)を持ってきてくれたのだが、やはりそのお茶は番茶好きのうちの両親にも大好評だったので、今回も久しぶりにその番茶を持って、おかんだけしかいなくなった実家に来てくれたのだ。 普段のお客さんなら、おとんの思い出話でひとしきり時間が経つところだろうが、あけみの場合は違った。 おかんにはこの間「もしかしたらあけみが来るかもしれんよ。一応言うとくけど、あけみから手紙が来て、とうとう離婚したらしい。返事書いたけどお父さんが死んだことも書いたから」とWarningをしておいたのだが、たぶん彼女は私の返事を受け取ってほとんどすぐに電話してくれたのだとわかった。 おかんはバタバタと掃除を済ませて彼女を迎え入れ、久しぶりの再会の中でおとんの話にはもちろんなったのだが、途中の話の流れで私たち夫婦の話になった時におかんが「速いもんで、ちゃとら2人ももう10年目やて。お父さんは『いやなことがあったら、きょう日のことやからいつでも帰ってこい』て言うてはったけどな」と言った途端、あけみは離婚したことをおかんにぽつぽつ話し始めたらしい。 おかんは、あけみが(私と反対に)よく痩せてやつれていたので驚いたと言っていた。 おかんはおとんのように社交的・策士的ではないが、あまり自分で熟考しているふうでもないのに直感でぴしっとベストな判断を見せたり、本能的に地雷を避けたりすることに長けているため、結局あけみも4時間ほど話し込んでいったということだった。 おかんによると「あれはまだ相手に未練があるな・・・そらしゃあないわな、アンタの倍くらい結婚してるんやしな」とのこと。 私からも以前に離婚を勧められていたこととか、それでもなかなかふんぎりがつかず、この1年ほどは本当に文字通り血を吐くほど辛い思いをしたといって、おかんの前で泣き、おかんも可哀相で仕方がなかったと言っていた。 相手の親の暴言の話も聞き、おかんは「ウチやったら、アンタがそんなこと言われたら相手の家に棒持って殴り込みやでー」と大憤慨していた。 あけみは離婚したことで自分の親に対してもかなり肩身が狭い思いをしているらしく、私は私でそのことにいらいらしている。 いらいら、というのはちょっと違うかもしれないが、自分の母親にでさえ(うちみたいに)聞いてほしいことが遠慮して言えない、というのは本当に可哀相な話だと思うのだ。 親子のあり方は親子のあり方はその家によって違う、と簡単に割り切れればいいが、こういう時にともかく、すぐに解決につながらなくても愚痴を聞いてくれるおかんが電話の向こうにずーっといてくれたこの10年間を私はつくづくありがたいと思った。 もちろん自分が言いたくなければ言わなくてもいいのだが、やっぱりこういう時は、たとえ相手に多少の分があったとしても、自分の立場でモノを言っても、それを聞いてくれるだけの人でも心の回復の大きな助けになる。 おかんは「私は(あけみの話を)聞いてやるしかなかったし、アンタかて話を聞く以上のことはできひんかもしれんけど、まあこっちに戻ってきたらすぐに連絡してできるだけ助けになってあげなあかんで」と言っていた。 おかんがちょっと前に電話で言ったことがあった。 「ちょっと前やったら、何かうまくいかへんことがあった人にでも『そやけど生きてさえいたらまたエエことあるて~』言うてなぐさめてあげられたけど、時代がもうこんなふうになって、こんなトシいってきたら、ホンマにエエことがまたあるんやろか、て疑問に思うわなぁ」 このおかんの言葉はちょっと痛い。 おかんの言葉のシャレにならなさ加減を、あけみでなくても私自身、身を以て考えてしまう時もある。 そしてあけみにまた「お参りに来てくれたそうで、わざわざ本当にありがとう。帰ったらすぐに連絡するしな」とさっき、手紙を書いたのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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