カテゴリ:家族
クマイチとケンカになった。
久方ぶりに、と書ければいいのだが、実はここ最近ちょっといやな度合いだと思う。 今日は会社ではない某所で勉強会があり、一日よそのビルの中で缶詰になっていた。 恥ずかしい話だが、なにぶんにも方向音痴であることと朝のラッシュにびびった私は(普段、徒歩通勤だから電車にこの時間に乗ることはない)そこの場所まで朝、クマイチについてきてもらった。 そのエリアは彼が東京の中でもいちばん勝手知ったる場所でもあり、昨日、私が頼んだところ快くついてきてくれると言ったのだ。(頼む私のほうが恥ずかしいが・・・) 勉強会が終わり、帰りはもちろん1人だったのだが、最寄の駅近くの本屋までクマイチに出てきてもらい、何かおもしろい雑誌でもあるか2人で物色し、それから一緒に帰る10分足らずの道のりでいきなりそれは勃発した。 話が長くなりそうだが、実は私たちはビリーズブートキャンプのDVDをヤフオクで買い、1月後半から続けているのだ。(ええーっ?) やったことのある人はご存知だろうが、4枚のDVDのうちのベーシックトレーニング版は55分動きっぱなしのエクササイズ。 うちは狭いし、テレビ・DVDのある部屋で2人一度にそれをやることはできない。 なので必ず1人ずつそれをやるとおおかた2時間かかる。 それからご飯を食べてお風呂にはいって寝る・・・効率悪いこと、この上ないが、仕方ない。 但し、このエクササイズは毎日ではなく2日に一回なので、私もその日(以下、ビリーデイ)は、毎日遅い中でも、少しでも早く帰るようにはしている・・・が、それでも9時を過ぎることも少なくない。 クマイチはすでに自分の番を終えていて、食事の支度にかかってくれていたりするのだが、私が帰ってきて家のドアを開けると、彼はいつも「さあ、ビリーが待ってるぜ」と言う。 毎回、言う。 今日もビリーデイだった。 昼間もそれはもちろん覚えていたのだが、本屋からの帰り道にふと私が「帰ってから(ビリーを始めるまで)ちょっとだけ休んでもいい?」と言った。 彼「なんで」 私「ちょっとだけPC見たいから」 彼「ボクのところで見てよ」 私「いや、自分のPCが見たい」 彼「邪魔すんなよ」 私のPCはテレビのある部屋(つまりビリーをやる部屋)、彼のPCは違う部屋にある。 だいたい部屋自体が狭いし、私がマイPCの前に座ると彼のビリースペースが確保できなくなるため、家に帰ったらすぐビリーを始めたいクマイチとしては、私にマイPCの前でだらだらするとすぐに自分が始められない。 それが「邪魔すんなよ」という言葉になったのだが、私は突然この言葉にかちんと来てしまった。 その上、よく考えると、これまでビリーを始めてからもずっと帰りの遅い私は、玄関を開けると、本当に座る間もなくクマイチの「ビリーが待ってるぜ」という言葉に押され、服だけ着替え、座る間もほっこりする一瞬もなくDVDがかかり、エクササイズを始めてきたんだという毎日が思い起こされ、なんだか無性に腹が立ってきた。 だってそうだろう、12時間も会社にい続けて仕事が済んでやれやれと思って家に帰ってきた瞬間、さあビリーが待ってるぜって・・・。 やらないとは言っていない。 これまででやらなかった日は、思いがけない残業で日が変わってしまった時と生理痛がひどくてパスした時だけ。 だらだら休んで「今日はやーめた」てな気持ちは毛頭ないのに、自分の家に帰ってきた途端、さあ、時間もないからすぐやれよって・・・ これまではあまり自分でもそこまで重くも真剣にも考えたことはなかったし、そんなことに思い至らなかったが、今日「ちょっと休んでいい?」「ダメ」というやり取りの瞬間に、ああ、そうだった、私、帰るたびに毎回座らせてももらえずいきなりやらされてたんだ、と思い出したのだ。 だらだらしてちゃいけないし、さっさとやるのが本質なのは私はよくわかっている。 だから別に、家に帰って5分や10分ちょっとほけーっとしていたって「今日はやらない」とは絶対に言わない。 今日は、いつもの会社での頭の痛い毎日とは違う勉強会に出て直帰だし残業がないから帰宅は早くても、いつもと勝手が違う分、それなりに気疲れしている。 そこで「PC見るならボクがビリーやる場所は開け渡して、あっちのPCを使って」と言われて私はカッとなった。 小さいこと、なのだ。 でも、自分の家でやることにそこまで私が制限を受けるいわれはない。 そう思うとムチャクチャ腹が立ち、路上で立ち止まってクマイチに「そんな言い方はひどい、私はちょっと休みたいって言っただけだし、30分も1時間もだらだらするわけじゃない」と抗議した。 彼はひるむことなく「でもさ、そうやって座っているうちにイヤになってしまうし、ボクが急き立てなかったらやらなかったことだってきっとあったと思うよ」と言い返す。 「そんなことない、私はやるよ、別にしぶしぶやっているわけじゃないよ、自分でやろうと思うからやってる。でも、今の言葉で思ったけど、そういえば私はこれまで残業して帰ってきたらいっつも『ビリーが待ってるぜ』って言われて、腰をおろすこともなくいきなり『やれ、やれ』って言われるのはやっぱりイヤだったと思う。言われなくてもやるに決まっているのに、そんなふうに毎回言われなくてもよかったと思う。私だって、時間が遅いからすぐやらないとよそにも迷惑かかるから早くっていうのはわかってる。けど、無理やりそんなふうに言われたくない」 そう私が不退転の決意で言うと、クマイチは斜めを向いたまま「じゃあ、もう言いません」とちょっと小さくて硬い声で不機嫌に言った。 それがまた私をかっとさせた。 「ちょっと、そういう言い方はないやろ?」とその場に立ち止まったまま言うと彼はもう一度、やはり斜めを向いたままそう繰り返した。 「あのな、私が何に腹立ってるのか今、説明したやろ?『じゃあ、もう言いません』ってさぁ、もうちょっと他に人に気持ちを寄せるような言い方できひんのかな?私が『ビリーが待ってるぜって毎日言われて急かされるのがイヤって今わかった』って言ったやろ。『じゃあ、もう言いません』じゃなくて『そっかー、そんなこと考えないでそう言ってたかもしれないし、そんなにイヤだったんだったらごめんね』とかっていう言い方はないわけ?『もう言いません』って結論言うたら終わりか?」と私は彼を責めた。 「前やったらさ、もうちょっと上手に謝るというか、私がこんなふうにいきなりガーっと怒り出したら、とりあえず落ち着かして、子供みたいかもしれんけど『そうかそうか~~~』って言ってくれたと思うけどそういうのはもう私にはせーへんのやな、私は『ああ、そっかー、ごめんなー』って言ってくれたら、それで矛先が収まる性格やっていうこと知ってるやろ?それを知ってて『もう言いません』って紋切り型の答でホンマにアンタはそれでええと思ってるねんな?」 クマイチはそれでもまだ腑に落ちない顔で「ごめんね、そんなにイヤだったとは思ってなかったから・・・」と鸚鵡返しに答えたが「でも、こんな道端でボク、こんなふうに言われて・・・」と、不満の根っこを付け加えて私に差し出した。 私は「アンタは道端で言われてカッコ悪いとか思ってるから余計不機嫌なんやと思うけど、アンタが何回も言い返さんと、この段階に来るまでに『そやったんかー、ごめんな』ってひとこと(ホントは他に言うことがあってもとりあえず)そう言ってくれてたら治まる話やったんや。道端でって言うけど私だって道端で話したいわけじゃない。でも私はこういうことを持ち越したままで家の玄関はいるのはもっとイヤなんや」と言った。 以前はもっと素直というか誠実でストレートな人だと思っていたが、ここ最近のクマイチは、私の直球に対してカットをかけて返してくるような答え方が多くなり「ハイ」と言わないことが増えた。 じゃあ私のほうが難しい球を投げるようになったのかというと、決してそうではないと思うのだ。 私が丸くなったとは言わない。そうではない。怒るツボもタイミングも変わっていないし習性が変わったわけではない。 正しいとは言わないが、私の主軸はブレていないはずだ。 が、時々彼がしつこく絡んでくることが多くなり、どうしてこんなふうになっちゃったのか、という落胆の思いがある。 その後、重い口をもう一度開いたクマイチによると、私が最近(いつからいつのことを言っているのかしらないが)心に怒りを溜めている度合いが多いという。 私の怒りの沸点が低くなったようなこともいっていた。 確かに仕事でトンネルにはいり、どうしようもないような時がないわけではないが、クマイチにそんな話をいろいろ聞いてもらうことはあっても、それが原因でクマイチや家の中のモノにあたるというようなことは私は絶対にしていないと思う。 結局、家に着いてから私は15分ほどPCの前に座った。 それから畳の上にビリー用のマットをおもむろに敷くと、いつものように1時間、ビリーに付き合ったが、その間にクマイチは寝てしまっていたので話はしていない。 ここに書いた話はもちろんすべて私側の論理、私側の事実という主観100%であって、クマイチが日記を書いたとしたら、またそれはクマイチの論理・真実での書き方・言い分になるだろうとは思う。 私はこの件について自分が悪いとは思わないし、人(しかもたった一人しかいないパートナーじゃないか・・・)に御する術を学ぶべきはやっぱり彼のほうだったと今でも思っている。 しかし、私は1月に母とあんなことがあり、ここしばらくなんとなくクマイチがいちいち私にひっかかりを見せるのはやっぱり変わったのは私だと思うべきなのだろうか。 私は親にも配偶者にも恵まれてきたと思っていたし、クマイチといる毎日に私のほうは不満はないのに、クマイチは私に対する気持ちが薄れてきているようなことを少し言った。 世の中で、ちょっとしたことでいちいちつまらないケンカから、近しい人同士の気持ちがはぐれてしまうような関係って悲しいなと思っていたが、私は今そこにいるのかもしれない。 父がいなくなってから、歯車が狂い始めているのだろうか。 やっぱり私はもしかすると家族との縁が薄い人生を今後送っていかないといけないのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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