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揚州

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2005年11月11日
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カテゴリ:歴史
鑑真和尚のお寺である大明寺が揚州には有る。
その他に、遣唐使、遣隋使ゆかりのお寺である高旻寺も揚州に有る。

隋の時代は581年から618年まで続いた。
文帝楊賢が建国した隋は、2代目の煬帝で、高句麗遠征の失敗や、杭州から
北京までの大運河(1500km)を完成させる為、沢山の労働者を死なせた
暴君として有名だ。
今も揚州にはその大運河が脈々と流れている。実際にその運河を眺めると
人工的に作られたとは思えないほど、大きなものだ。ただ、一直線に延びた
運河を見てみると人工的な物だと推測はつく。この工事で何万もの尊い命が
亡くなった事を考える時、感慨深いものがある。

が、結局農民の反乱を招きその反乱を平定し革命に成功した高祖李淵
(唐王朝618年~907年)に滅ばされてしまう。

隋は2代まで、たったの37年しか存在しなかった。

その当事、2代目の煬帝はココ揚州で国内の動乱を見てみぬふりをして
毎日、宴を開き遊んでいたと言う。煬帝が殺されたのも揚州である。

おそらくその当事が、一番揚州が栄えていたのではないだろうか。
別荘地帯であり、塩の商人が集まり、毎日宴が模様されていた。

しかし、今はその面影となる建物や別荘は無い。
聞いた話によると、1851年に起こった太平天国の乱で全てが焼き払われた
との事だった。
儒教的な大同思想を含む思想で、「耕す者にはその田があるような平等な
社会を目指すのもの」で、この揚州はその暴動の中心で別荘など限られた
裕福な人の建物は全て壊されてしまったらしい。

残念であるが、歴史とはその様な物であろう。
今その面影を残す物は、痩西湖とお寺、それに運河だけである。

あっ、それと江沢民の故郷





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最終更新日  2005年11月12日 11時54分55秒
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