若葉 第三章 影(一 後半)
コウ君は、予備校には通っていなかった。全く、大胆にも、連絡も無しに、朝の六時頃、わたしの部屋の窓の所に直接来て、コツコツと窓をたたいた。わたしは、隣の部屋の庭に通じる大きな窓から、庭に出て、サンダルをはいて、コウ君のところまで、歩いて行った。夏休みの間中、朝、こうして二人で会うのが、当たり前になっていった。近所をぶらぶらと歩いた。坂の反対側へも、下りて行ったりした。コウ君は、親に内緒で、美大の予備校に通い始めていた。静江さんが、やはり、応援してくれていたようだ。帰りは、ラジオ体操に行く小学生に、目撃されたりする。 「もう、色んな人に、二人でいるとこ見られたね。」 「いいよ、別に。俺は。」 「じゃあ、今夜の花火大会、クラスの子たちから誘われてるけど、コウ君と行くからって、断っていい?」一瞬、ひるんだ。面白い。 「いいよ。一緒に行こうか、二人で。」ちょっと挑むように、言い返して来た。母は、夜なのにと言って反対したが、結局、浴衣を着るのを、手伝ってくれた。カラコロと、下駄を鳴らして、玄関先に立つと、コウ君がもうすでに、そこに居て、驚いた顔をして、わたしを見つめていた。 「おまえ、それで、どうやって、駅まで歩くの?」 「へっ?」ああ、そうか。早足で行っても、駅までは、10分はかかる。こんなペースで歩いていたら、駅に着く頃に、二人ともクタクタだ。 「ったく。ちょっと待ってて。自転車取って来る。」コウ君は、坂を走って行って、いつもの自転車に乗って戻って来た。 「ほら、座って。下りだし、立ちこぎするから。世話かかんな。全く。」浴衣姿を、お世辞でも誉められると思っていたわたしは、かなり、へこんだ。 「下駄、どうしよう。落ちそう。」 「じゃあ、手で持ってれば。それより、自分が落ちないように、どうにかしろよ。」 「えー。」横座りをして、両手でサドルを、ぎゅっと掴んだ。 「うわっ。」サーッと、風を切って、自転車がいきなり走り出した。下駄を入れたビニール袋と、バックと、コウ君の背中と。頭の中が、真っ白になってる所へ、コウ君のこんな言葉が、なんとか聞こえて来た。 「バイクの時は、ちゃんと、つかまれよ。絶対、おっことすから。」コウ君は、わたしを笑わせるのが、上手い。パニックが少し止んで、途中で出会ったクラスの子たちの驚いた顔にも、笑顔でいられた。結局、駅で合流して、仲間全員で花火を見たけれど、海に上がった、たくさんの花火よりも、サドルにしがみついていた時見た、目まぐるしい景色の方が、その日のわたしの心には、存在が大きかった。帰りは、流石に、クラスの女の子たちと、お喋りしながら帰って来た。もう、サドルを必死で掴む、体力も気力も、残っていなかった。 つづく ああ~、今日は、もうこれで、おしまいです。ポチット1回、押してください。よろしく、お願いします!m(-.-)m