「中国の植物学者の娘たち」(2005・加/仏)
只今、公開中です。"LES FILLES DU BOTANISTE","THE CHINESE BOTANIST'S DAUGHTERS","植物学家的中国女孩" 監督、脚本・・・ダイ・シージエ 出演・・・ミレーヌ・ジャンパノワ リー・ミン リー・シャオラン チェン・アン リン・トンフー チェン教授 グエン・ニュー・クイン 孤児院の院長 ワン・ウェイドン タン グエン・ヴァン・クァン ・物語序盤・三歳の時に起こった地震によって、中国人の父とロシア人の母を失い孤児となったリー・ミンは、孤児院で成長した娘。昆林医科大学の植物学者であるチェン教授の自宅で、一ヶ月半の間、実習生として学べる機会を得たミンは、湖の小島にある彼の植物園へとやって来た。だがチェン教授は、時間に厳しく、何事にも厳格な性格の人物で、ミンは到着早々、辛辣な叱責を受ける。教授は同じ年頃の娘アンと二人暮らしだった。母親を早くに亡くし、苛烈なまでに厳しい父の下で、孤独な暮らしを送っていたアンは、ミンを歓迎し、優しく接してくれる。しかしある日、医学生達の元に薬用植物を持ってくるよう命じられたミンは、誤って猛毒のトリカブトを渡し、チェン教授から罵声を浴びせ掛けられる。頭に来たミンは孤児院に帰ろうとするが、そんな彼女にアンは戻ってきてくれるよう懇願する。その後、長年孤独な境遇にあった二人は、姉妹のように打ち解け合い、心を通わせてゆく。互いを想う強い気持ちは、次第に愛へと高まってゆき、二人は禁断の関係を持つように…。そんなある日、モンゴルに駐屯している軍人である、アンの兄タンが、唐突に帰宅した。既に26歳で決まった相手も居ないタンに、チェン教授はミンを嫁に迎えるのが良いと思い付く。タンもミンに惹かれ、彼女に結婚してほしいと求愛する。嫉妬と悲しみで、心を切り裂かれる思いのアンは、いつも薬用植物を貰いに通っている寺に家出をした。翌日、アンを迎えにきたミンは、タンの求婚を断ったと言うが、アンは逆に、ミンがタンの妻になれば、二人は永遠に一緒に居られると提案するのだった。舞台は中国という設定ですが、中国政府での撮影許可が下りず、隣国ベトナムでロケを行ったという作品。ミン役のミレーヌ・ジャンパノイは、仏人と中国人を両親に持つハーフ。アジア人でも西洋の血が混じると、途端に美人になるなぁ。のっぺり顔の典型的日本人の私は、ミンの容姿に羨望の眼差しを送っておりました。オッパイも立派だし…、いいなぁ、ハーフ美女~。って、お前は、オッサンかい?!因みに、ミレーヌは中国語が殆ど出来ない為、結構苦労した模様です。本編が始まる前に、ドイツ語の注釈が出ました。何とか読もうと判る単語を必死に探しましたが、数秒間で消えてしまい判らず…。このフィルムはどーたらと、著作権について書いていたような…。そして映画に出る地名や場所の字幕も、全てドイツ語。あれ?フランスとカナダ合作映画の筈なのに、上映フィルムの仕入れ先はドイツなのか。中国ではタブーとされる同性愛を主題とした作品の為に、中国での撮影が出来ず、フィルムも西洋社会を周って、日本に巡り来るという、とても意味深な映画ですねー。先ず、公開前のトレーラーを観て思った事。これはいつの時代の話だ?現代?中国では、同性愛は刑事処分を受ける罪なのですか?その事に驚きました。日本に住んでいると、そんなの個人の自由でしょ、と思いがちですが、国が変わると倫理観も大きく変わるんですよね。しかも倫理のレベルでなく、法の裁きで処刑されるっていうんですから堪らないわ。(調べたら、主人公の両親が無くなったのが1976年の地震という事で、そこからざっと20年位と考えれば、ほぼ現代と言っても良い時代ですね、やはり…。)中国は、言論・思想の自由などが、世界ランクでも下から数えて一桁の位置にあると聞きました。オリンピックに向けて、経済開発が急ピッチで進められている一方で、多くの社会問題を抱えた国である事も承知しています。ただ最近は、深刻な社会問題を扱った映画も撮れるようになってきているので、この映画の撮影許可が下りなかったという事に驚きましたね。一人っ子政策の影響で、特に地方で嫁不足が深刻化して、都市部から若い女性を拉致・売買する事件が多発しているという事実を扱った映画も作られましたし。反政府的と思われる作品も許可されているのに、何故これが駄目なのでしょう?一応、この映画のモチーフとなった、実際の事件があったという事ですが。さて前置きが長くなりました。本作について。最後まで鑑賞して、一言だけ言うなら、「アンタ達、もう少し上手く立ち回れよ…。」です。笑。別に刑事事件にまで発展させなくても、内済できる問題でしょう…。(-_-メ)身内だって、世間に知られたら恥な訳ですから、大事にしたくないという気持ちが働く筈。それを怒りを煽るような態度を取るから…。冒頭に戻ります。ミンが世話になる植物学者の家に前日の晩に電話します。すると「今、何時だと思っているんだ?」という不機嫌な応答。こちらも一体何時なの?と思っていたら、夜9時…。え、中国で夜9時に電話をしたら非常識なのか…。そういうものなのか?文化や慣習が判らないので、ちょっと狼狽と疑問符。翌日、実際に植物学者に対面した時も、「君は時間の観念がなっていない。」とお叱りを受けるミン。よくよく映画を観ていると、このお父さん、非常に時間に煩い人だと判明。朝食は何時から何時、仕事は何時から何時、とプログラムされたコンピューターの如く生活リズムを刻んでいて、予定以外の時刻に他の事をさせようと思っても無駄。お前はカントかぁー!とツッコミ。(カント:イマヌエル・カント(Immanuel Kant)、ドイツの哲学者。規則正しい生活を送り、散歩する彼を見掛けた人が、それに合わせて時計の時刻を合わせたという逸話は有名。)そんな厳格な父親ですが、娘アンによれば、心根は優しい人との事。その証拠か否か、突然帰ってきた息子に、ミンとの縁談を進めようと思い立つ。孤児で1ヶ月半で帰る実習生、しかも連日叱責している不出来な女を、息子の嫁にしたいのか…。怒鳴っているのも愛の鞭で、内心は見所があると気に入っていたのかなぁ。アンの言う通り、彼の温かい一面と捉えるべきか、単に孤児だから煩く言う人間も居らず、無給の女中代わりに使えると思っての判断だったのか、その辺の真相は不明…。兵隊のタン兄ちゃんは粗暴な男かもしれませんが、あの立場なら怒って当然でしょう。彼を非難するのは筋違いかと…。ある意味、一番気の毒な被害者だと思いますよ、彼は。ラスト近く、再び帰宅した我が家が荒れ放題になっているのを見て、何が起こったのかも分からずに呆然とする彼の心中は慮るに余りありました。そして妹と妻の処刑を報ずる新聞を、かつて毎日新聞を買っていた街頭の売店で買う彼。何にも知らずに利用されて、世間からは後ろ指差される身になって、可哀想すぎ…。ふと疑問に思ったのは、ハネムーンでの初夜の後、何故処女じゃないんだー?!とタンが激怒して難詰しますが、アンとミンはどんなセックスをしていたんだろう?田舎の人で世間知らずな若い娘同士で、何処まで激しいプレイをしていたのー?処女膜は破損していないのではと、ふと考えたのですが…。それにですねぇ、初めての性交で出血するというのは、全員ではないですからね。処女膜も人それぞれタイプがありますし、「膜」と言っても、実際は「襞」であって、穴が膜で塞がれている訳ではなくて…。(稀に、完全に塞がれている閉鎖膜の方も居ます。)膣口が充分に粘液で濡れていれば、初めてでも出血しない場合が多いのです。血が出ない=非処女という判断は、現代日本でも定着していますが、完全な誤認識ですよ…。だからミンも頑なに口を閉ざさないで、上手く弁解しなさいよと。処女膜についての知識は無かったとしても、例えばさぁ、孤児院でイタズラされたの…とか、涙ながらに同情を引けば、あの兄ちゃんも、そんな目に遭わされたのか、と気の毒がってくれたかも。女は男を上手く騙してなんぼですよ、アータ。兎に角、アンもミンも、立ち回りが下手過ぎて、自ら問題を悪化させているのが気になりました。父親に対しても、傲慢な態度を取り、あからさまに彼を排斥し始めたりと、私から見ると、何故?と首を傾げる部分が多かったです。知られては不味い事をしている時は、殊更周りのご機嫌は取らなければならないですよね。父親が心臓発作を起こした時も、下手に病院に搬送せず、放置しておけば、病死で済んだのに。とことん逆上させておいて、倒れたら病院に運び、行状を暴露されるって…、頭悪過ぎませんか、お二人さん?悲劇的な純愛がどうのというより、君達根本的になってないから…、という思いの方が強くて。108羽の鳩を放して、永遠に離れない事を祈願した二人のシーンは切なかったけれど、何か変だよ…と思う場面がそれを上回って、純粋に悲劇の恋としては見られなかったです。↑ランキング参加中。ぷちっとクリックして下さると嬉しいです。