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私の活きる道

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お猫2006

お猫2006

Category

2006.08.07
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カテゴリ:家族
土曜日に兄夫婦が遊びがてら泊りに来てくれた。

『旅行行こうと思ったんだけど、面倒になっちゃってここに旅行にきたよ(笑)』
な~んて照れ隠しに言ってくれる兄が大好きだ。
大好きな義姉と、大好きな甥っ子と。

たわいもない話は尽きなくて、夕食を食べてからもお酒を飲みながら3人でずっと家族の話をしていた。何時間話しただろう。とにかく涙を流すくらい大笑いした。

お婆ちゃんの不可解な行動。
すっかりボケてしまったお爺ちゃんの子供みたいな言動。
お父さんから受け継いだ私たち兄妹の遺伝。
お母さんのテキトーな勘定。
凛と華がタッコそっくりな事。
叔父叔母の事まで。

義姉にしてみれば、私たち兄妹の常識が不可解に思える事が多々あるらしく、その謎をひとつひとつ解決しようとすればするほどおっかしくなっちゃって。。。
とにかく大爆笑スマイル

兄とは、兄が高校の時から一緒には住んでいなく、その分お互いを思いやるようになったのかもしれない。
兄は5年制高校で寮生活を送っていた。
その寮がまた、今の時代にはないような厳しさで、当時16歳の兄は辛かったんでしょう、毎週末実家に帰ってくるのでした。
日曜日の夜、両親が兄を乗せて寮へ送っていくとき、当時12歳の私は決まって付いていきました。

ある日、我慢しきれなくなった兄が、車から降りようとせず、『行きたくない。学校辞めたい』と言ったんです。本当は凄く我慢強い兄が口走った言葉に私はそれだけでも泣けてきました。そんなに辛いんだったら。。。
と、思った時、運転席にいた父がいきなり怒鳴りだしました。
『弱音なんて吐くな!』
良くは覚えていませんがとにかく家になんか帰ってくるなということを言った気がします。
兄はとうとう泣き出し、母も辛かったと思います。私も号泣していました。

結局兄は泣きながら寮に帰っていきました。

それから1年。
兄がなんとか学校を辞めずに2年生になると、寮の厳しさはほとんどなくなり、5年生になるころには、寮の変なしきたりを一切なくしたと言っていました。

当時はなんてひどいことを言うの?お父さん!って思いましたが、今なら解る。
それが父の愛情だったことを。
心を鬼にして兄に愛をぶつけたことを。
父が一番辛かったのかもしれない。

そして、今、兄は実家で4世代(甥っ子も含め)同居をしている。
一時は都心で義姉と2人暮らしでしたが、実家が心配だとかいって、せっかくの本社勤務を退職してまで戻ってきた。

兄の家族に対する愛情、父に対する尊敬の念は見ているだけでよくわかる。
そんな兄を私は尊敬している。

お父さん、あの時のお父さんの犠牲は全く無駄ではなかったね。
『叱る』ということがこんなにも『愛』を表現したものなんだと心に深く刻まれています。





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Last updated  2006.08.07 14:16:06
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