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カテゴリ:旅の記憶
私の読書指南役と勝手に名づけている山猫さんがまた面白そうな本を紹介している。
毎日暑くて読書が進まないがこれはちょっとそそられる。 ヒト皆出すのであるから、各国各地のトイレ事情は習慣から意識、宗教まで垣間見れる奥深いものなのだ。 私が初めて異国のトイレを経験したのは18歳、米国西海岸であった。 個室ドアが日本と比べて面積が小さいのに驚いた。便座に腰掛けるとふくらはぎ上部から下は外から丸見え。立てば顔が見える。 何とも落ち着かない思いがした。個室内での犯罪防止のためであるという説もある。 文化の違いを最も感じたのはやはり中国の「ニーハオトイレ」であろう。個室はなし。長い溝に各自しゃがみこむ。顔を突き合せるのか、他人の尻を見るのか流儀は未だ知らず。 慣れるまで出るものも出ない。最初は人がいない時を見計らって用を足していたが、長距離バスの旅でのトイレ休憩ではそんな悠長なことは言っていられない。 ヒトは慣れるものである。 しかし同じ中国でどうしても慣れないものがあった。ドライブインにある個室トイレ。どうしたらこうなるのか、と思うところに山になったブツ。匂いも強烈である。流儀としては山を更に高くするのか、穴に落としこむのか未だ知らず。 もちろん中国でも高級ホテルであれば広々とした個室、水洗であったことを付記する。(80年代) チベットのとある寺院のトイレは高所にあった。穴をのぞくと遥か下方まで景色が見える。 超乾燥地帯であるので、出したものは穴を通過した後風で吹き飛びカラカラになるのであろう。しかし足を踏み外したら命がない。高所恐怖症でなくともビビルのである。 手動ウォシュレットはタイやインドネシアで経験。左手か右手かいつも迷う。慣れればこれほど快適清潔なものはない。 と、トイレに思いを馳せつつ時間切れ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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