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カテゴリ:旅の記憶
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報道ステーションチベット虐殺を報じる 古館「税なども漢民族に対し優遇している、だからこそ移住してくるという情報もありますけれどもね」 加藤「それはどうでしょうかね。私もこの10年で2回チベットに行ってラサを見ていますけれどもね。・・・」 うーん、なぜにこういう発言するだろうか。優遇措置はあるじゃないか。 (ざっと検索したが、情報が見当たらないのではあるが) 古い旅のノートを引っ張りだした。 1996年10月10日~31日までラサ 11月1日 ギャンセ 同2日 シガツェ 同3日 ラツェ 同4日 記録なし 同5日 ネパール・カトマンズ 1ヶ月弱チベットにいたのだが、ある日テレビニュースで優遇措置に関するものを見た。 北京語がわかるわけではないが、ニューステロップが漢字であるため、おおよその内容はわかる。 チベットラサ市内に鉄筋コンクリートの住宅を次々と建設している映像。移住促進していること。税制の優遇があること。数字も出ていた。 その報道を見て、ラサ市内に漢民族が多くいることに納得したのだ。なにしろ、富士山より高い標高。高山病になる場所。そこで生まれた人でないと、暮らすのには楽なところではない。 けれども、12年前のラサ市内には、漢民族だけの小学校があり、下校時刻になれば親が迎えに校門前に大勢集まっていた。新しい衣服を着て、新しい鞄を持った子どもたち。 かたや、チベット民族の子どもは裸足。髪は乱れ、顔も汚れていた。食堂で食べていると、食べ物をねだってきていた。 漢民族とチベット民族の貧富の差は、相当のものと感じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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