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カテゴリ:生活
昨日は私の祖父の9年目の命日。
車で40分位の所にある墓地へ、好物のお饅頭と大好きな花を持って、子供2人を連れて出かけた。 明治生まれの祖父は、ガンコで短気だったけど、酔うとタコ踊りをしたりひょうきんな性格でもあった。 私が7歳まで一緒に住んで、忙しい父に代わって育ててくれたおじいちゃん。 数々の逸話があって、 「昔渋谷に住んでた頃、下宿先の下でハチ公が死んだ」とか 「同じ大学の先輩だった故・金丸大臣に何度かおごってもらったことがある」 「”鳥居さん”を逆さにしてサントリーという名前のアイデアを出したのはおじいちゃんだ」などなど・・・ ほらを吹くような人ではなかったけど、誰も本気で信じる人はいなかった。 孫が生まれてから、趣味のマージャンを絵画に変えて、晩年は画伯とも呼ばれるほどになった祖父は、関東大震災や戦争の地獄絵図を目の当たりにしてきた生き証人でもある。 84年間の人生は、想像もできないほど波があったんだろうけど、充実した人生だったと考える。 亡くなる前の日、入院先の病室で、2人きりになった私の手を握り10分以上も私から視線を離さず、最後に何かを言った。 残念ながら酸素マスクで聞き取れなかったのが、今でも心残りだ。 入院中に、似ているからと沢山プレゼントされた「くまのプーさん」のぬいぐるみで顔の回りを飾られ出棺されいった珍しい老人。 ひ孫まで見て欲しかったなぁ~ そのひ孫達はお墓に行くと「大ジー」(じぃじより大きいから)と呼んで、墓石をごしごし磨いてくれるので、天国から見ていてくれるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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