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カテゴリ:本
コイノニア社というのから「かみさま おてがみ よんでね」という本が出ています。
編著者に よこた さちこ とありますが、この方は、塩尻アイオナ教会の牧師です(個人的に親しくさせていただいていますが、言いようのないオーラがありまする)。教会の子どもたちに、神さまへの手紙を書いてもらって、それに答えたものです。 子どもたちの反応は、「これって、牧師さんの字でしょう。そんなの神さまからの手紙じゃないよ」てなのもあったようですが、それには、次のように答えたそうです。 「牧師の仕事は、子どもでもおとなでも、神さまに聞いてもらいたい人の言葉を神さまに届けることなのよ。そして、神さまからの返事を聞きとって、みなさんに伝える。手紙の中身によっては、返事がとてもおそくなることがあるの。時間のかかる仕事です。」と。 それで、子どもたちも納得したようです。 で、まずは、その手紙の感性が面白くて何度も読み返しています。 たとえば、種蒔きのたとえのお話があったときのある子どもの反応。 "今日、種蒔きのお話を聞きました。神様のお話をよく聞いて、種が無駄にならないようにしましょうっていったけど、わたしは、種たちはむだにならないって思う"(6さいの女の子) "だって、道に落ちた種は、鳥さんが食べたし、石の上や茨のなかに落ちた種はひょろひょろでも、むしさんが食べたと思うよ。だから大丈夫、種は無駄になんかならない"(ちょっと本と表現を変えていますし、本のほうはひらがなだけですが...) この種蒔きの話って子どもの教会でもよくするんですが(マタイ福音書のものを文末に載せておきます。)、「良い地に落ちて実を結びましょう」って結論が多いです。それに対して、この反応は素晴らしいなぁって思うのです。大人がいうことをそのまま受けてしまうのではなく、自分の頭でちゃんと考えているからです。 それで、その神さまの答えも "わたしもそう思います。 蒔かれた種は無駄になりません。 とりたち、むしたち、にんげんたち、みんなよろこんで食べてくれたと思います。 「実を結ぶ」ということにはいろいろなかたちがあるって、ふうこちゃんがきづいてくれて、嬉しいです" こういうところ、とても好きになりました。 現金なお願いにも答えています。 子ども 「かみさま おかねちょうだい」 かみさま 「わたしはお金なんかもってないよ。 お金よりいいものならあります。 なんだと思う? それは にんげん です」 子ども「ウンコも僕の作品なのかなぁ」 -----あとは、読んでのお楽しみ... 自分だったら、どう答えるだろうか、そんなことも考えさせられながら読める本です。 【種蒔きのたとえ】 マタイによる福音書13章3~9節(新共同訳) 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jun 26, 2007 09:57:39 AM
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