|
テーマ:今日の出来事(292894)
カテゴリ:教会
今年最後の礼拝でした。降誕後主日ということでクリスマスの期節の中にあります。
しかし、年の瀬も迫り、礼拝出席者は少ないかもしれない、と思いつつ、教会に行って準備をしていました。今日は教会学校はお休みにしていましたので、朝の準備はいつもより遅くから始めたので楽をさせてもらったのですが...。 礼拝の開始は10時25分。10時15分になっても、わたしの家族と司式者の方以外いません。奏楽はヒムプレイヤーと予告していましたが、わたしが弾くことにしました。 今日は少ないなぁ、と思っていると、次第に一人、一人と集まってきました。 礼拝開始時には、10名ぐらい、終わる頃には15名ぐらいになっていました。 今日は来られないと連絡を受けていた方も何人かいましたが、年の最後の礼拝を豊かにささげることができたことは感謝でした。 メッセージとしては次のようなことを語らせていただきました。 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネ1:14)「 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。」(ヨハネ1:17) ここにおいて恵みと真理は、旧約の「慈しみとまこと」に相当し、正義と平和とも関連すること(詩編85編などを参考)。そして、「慈しみ」は、神の慈愛(ヘセド)、「まこと」は真理というよりも、神の信頼性というものではないか、ということです。(もちろん真理というのも信頼するにふさわしいものですが)。そして、その「まこと」とは、ちょうど、放蕩息子を待ちそして受け入れる父親のように、傷つき苦しみ立ち返るもののそばにいてくださるということを示すのです。 本日のイザヤ書40章28節以下「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく、その英知は究めがたい。疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」にも、そうした神のまことがしめされているでしょう。 それは、わたしたちのほうから神に近づく道ではなく、御子をこの世に遣わし、神のほうから近づいてくださったことによっても現されています。 わたしたちと共にいてくださる神がいてくださるからこそ、宗教改革者ルターのように「キリスト者よ、大胆に罪を犯せ。大胆に悔い改めて大胆に祈れ。」ということができますし、どんな局面においても新しく生き直すことができます。その神に信頼し、この一年を振り返るとともに、新しい一年を踏み出していきましょう。 では、皆様、よい年を! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Dec 31, 2007 10:35:17 AM
コメント(0) | コメントを書く
[教会] カテゴリの最新記事
|
|