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テーマ:鉄道雑談(1541)
カテゴリ:旅行
といっても、小田急のではありません。
しかし、長野を走る私鉄長野電鉄が昨年から、小田急のロマンスカーの旧タイプ(10000系)を譲り受けて、「ゆけむり号」として走らせています。 (その様子はこちらに) その「ゆけむり号」に乗って、今日は湯田中温泉に行ってまいりました。 湯田中温泉の駅のそばに「楓の湯」という温泉があって、そこの入浴とセットになって往復料金大人1500円でした。正月に両親のところにいく旅行が中止になったので泊まりではないのですが、子どもたちを連れて行こうと思っていたのでした。 そして、「ゆけむり号」に搭乗。先頭車両に乗りましたが、行きは展望席には座れず。それでも後方から景色の流れ、線路の流れ具合を眺めていました。子どもたちも50分ほどの旅程を飽きずにずっと外を眺めていました。今朝は雪が降り、その後晴れたので、雪が日に当たりキラキラしていました。 湯田中到着後、温泉に入り、昼食後、駅につくと、次の長野行き「ゆけむり号」は50分後とのこと。湯田中温泉郷を巡り、温泉饅頭など食べてから、駅の待合室で待ちました。電車が来る合図があって並ぶと、前から三人目。あこがれの展望席に座ることができました。展望席の一番に、子ども二人を座らせました。 かつて、私も子どもの頃、小田急のロマンスカーにあこがれておりましたが、展望席なんて座れるわけはありませんでした。 こちらは、予約がなくてもちょっと早めに並ぶと乗れるなんて、うれしい限りです。子どもたちは、前の景色を見ながら、いつの間にか踏み切りの数などを数えながら楽しくしていました。 そう。喜んでいたのは、私と子どもだけではありませんでした。小田急の前で写真を撮っている男性たちもいました。そのポーズのとり方に、連れ合いはちょっと笑ってましたが、私も写真をとった後の男性がとてもうれしそうに、しかし、うれしい気持ちをやや抑えた表情に、見てはいけないものを見てしまったような、照れを感じてしまいました。 それから、連れ合いは、運転席が展望席の上にあるのをはじめて知り、運転手が上に登るのをはじめてみて、こんなところから登るのか、と驚いていました。 その様子を写真に収めたかったのですが、私はデジカメのメモリーカードをセットしてくるのを忘れてしまい、連れ合いが持っていたのは電池切れで使えず、惜しいことをしました(電車に乗ってから、電池ぐらい近くで買えばよかった、と。ちょっと後悔)。 ところで、車中、子どもたちが外の景色に夢中になっているので、私は、ツンドクしておいた『白磁の人』(江宮隆之)を読了できました(文庫本で読み始めたらあっという間でした)。柳宗悦に多大な影響を与え、朝鮮半島の陶芸文化(白磁文化)を評価した浅川巧の一生をたどりました。日本の植民地と化した朝鮮半島において、日本人と朝鮮人の差別をすることなく、ハングルを学び、パジ・チョゴリを着て、貧しい人たちと共に生き、今もなお韓国においても尊敬されているという人です。 この小説、映画化されるって話もあったのですが(韮崎教会の牧師さんも中心的メンバーだったようですが)、進んでいないようです。 でも、浅川巧という人について、多くの人に知って欲しいと思っています。 私は、もう20年ほど前に、茨木のり子の『ハングルへの旅』でこの方のことを知り、高崎宗司『朝鮮の土となった日本人』を読み詳しく知った経緯がありました。ちなみに、この浅川巧は、甲府のメソヂスト教会(現日本キリスト教団甲府教会)で洗礼を受けたクリスチャンです。(小説で、浅川巧は敬虔なクリスチャンといった表現があるときに、「敬虔な」というステレオタイプ的な形容に、ちょっと辟易するのでもあったのですが...) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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