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テーマ:本のある暮らし(3315)
カテゴリ:本
朝日新聞にインタビューつきで載っていた記事に関心をもった(28日文化欄)。 作家、高橋源一郎氏が、『13日間で「名文」を書けるようになる方法』という本を刊行した、とのこと。そこには、「教師に5点しかつけてもらえなかった」文章を書いてほしい、とあるとのこと。 なぜか。 高橋氏が母校の小学校に文章を教えに行ったときのこと。児童が書いた文章の3分の2は天才だと思った、とのこと。それが中学生になると教育という手によって紋切り型になってしまい、急に下手になってしまうらしい。 また、「一番悪いのは、生徒に会う前からカリキュラムが決まっていること。どんな生徒かも分からないのに、マニュアル以下」と厳しく批判している。 そして、何故、小学5年に戻れば、名文が書けるのかというところで、高橋氏は「言葉の私性」を語っている。対するのは、公の教育による「公の言葉」とのこと。 そして、カフカやスーザン・ソンタグらの文章を「小学5年生のように書いている大人の文章」として名文のお手本としている。 この「私性」を失った言葉は、一人一人に訴えることがなくなってしまうつまらない文章になってしまうのだろう。 以下、記事を引用する。 例えば、「憲法を書く」という宿題。元々「公の言葉」で書かれた憲法を、ある学生は憲法さんが自らを語る、という形式で前文を書いた。 ―お母さんはアメリカってことだよね。他に親戚にドイツやイギリス・・・・・・。 これに高橋さんは、公の言葉で語るより、「ずっと親密な形で、考えることができる」と感想を記した。「『私』から発しないと、本当の意味での公には達しないのだと思っている」というのだ。 本の中で高橋さんは「本当の公」に向けて個人的な実体験を語る。3歳の息子が「急性脳炎が濃厚」とされ、障害が残る可能性を指摘されたときの話が、多くの学生の胸を打つ。 最後の抗議は、公に発信する文章「演説」。そこでも学生は、自分の経験などを元に原稿にする。確かに「公の言葉」で形式張って語る政治家より、訴える力は強い。 以上 引用。 礼拝で語られる説教にも通じる言葉でしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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