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テーマ:本のある暮らし(3316)
カテゴリ:本
前に、『13日間で「名文」を書けるようになる方法』というのに興味を持ったことを書きましたが、その後、読みました。
読後感は、とってもよかったです。この本を読んだからといって名文を書けるかどうかは分かりませんが、文章を書くとか、ということ以前に、何を表現したいのか、なんのために文章を書くのか、ということが語られていて、仕事上もとても考えさせられました。 文章は想像力を伴うこと、自分の体の範囲を超えて遠くに行くことができる、ということ、そして、自分という身近なところから語られる文章ほど人の心に届いていくことなどが参考になりました。例えば、この講義においては、好きな詩を選んできて、その詩人になりかわって、どうしてこの詩を書いたのか、などという質問に答える、というものがありました。聖書の文章の書き手になりかわって、どうしてこの文章を書いたのか、そういう想像力に基づいて語られるものが礼拝説教かな、と感じさせられました。 そして、ここに引用されている様々な文章自体もとてもよいものでした。 スーザン・ソンタグの「若い読者へのアドバイス (これは、ずっと自分に言い聞かせているアドバイスでもある)」やル・グィンの「左ききの卒業祝辞」は、聖書の言葉の黙想とともにあっても良い言葉だと思っています。 また、「左ききの卒業祝辞」に関連しているのですが、高橋源一郎氏が子どもの病気のことを通して学生の前で語ることも参考になりました。彼の子どもが脳症になり言葉が出なくなってしまいました。一生、そのままかもしれない、と思ったときに高橋氏の視点が障害を持つ親の側に変えられたこと、そして、子どもに対して責任を持っていこうと決意していく様子が語られていました。また、その子どもに大好きな絵本を読んで聞かせていると、言葉が戻ってきたということがありました。これに対して高橋氏は慎重にたまたま偶然が重なっただけかもしれない、といいながらも、「ことばを失った息子が、わたしのことば、いや、絵本に書かれたことばによって、こちらに戻ってきた、と考えたいのです」と述べていました。ここに「ことば」によって救われる物語があるのです。およそ、あらゆる出来事は偶然かなにかでしかないかもしれませんが、そこに救いの物語を見ることによって、人は希望を失わないのだ、と考えさせられています。 聖書もまた、「言」(ロゴス)によって救われた物語を語っていますし、この世界のばらばらの出来事を一つの視点から物語化する力を持っています。そして、キリスト者は自分の物語をその神の言葉に結び付けている者だと言えるでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Oct 19, 2009 08:36:14 AM
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