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テーマ:本のある暮らし(3316)
カテゴリ:本
長田弘の詩集『深呼吸の必要』に出会った。
「あのときかもしれない」では、大人になったときを回想し、あのときかもしれない、と綴るもの。 いろいろと思い巡らすと面白い。 特に、「三」の詩が心に残った。 大通り。裏通り。横丁。路地。脇道。小道....どんな道でも知っていた。 だけど、広い道はきらいだ。広い道は急ぐ道だ。自動車が急ぐ。おとなたちが急ぐ。・・・広い道ほど、子どものきみは肩身が狭い。ちいさくなって道の端っこをとおらなければならないからだ。広い道は、子どものきみには、いつも狭い道だった。 きみの好きな道は、狭い道だ。狭ければ狭いほど、道は自由な道だった。 ・・・ ・・・こんどはこの道をこう歩いてやろう。どんなゲームより、それをかんがえるほうが、きみにはずっとおもしろかったのだ。 いま街をあるいているおとなのきみは、どうだろう。歩くことが、いまもきみにはたのしいだろうか。街のショーウィンドーに、できるだけすくなく歩こうとして、急ぎ足に、人混みの中をうつむいて歩いてゆく、一人の男のすがたがうつる。その男が、子どものころあんなにも歩くことの好きだったきみだなんて、きだって信じられない。 歩くことのたのしさを、きみが自分に失くしてしまったとき、そのときだったんだ。そのとい、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。歩くということが、きみにとって、ここからそこにゆくという、ただそれだけのことにすぎなくなってしまったとき。 広い道ってなんだろう。子どもをはじめ広い道から締め出されてしまう人がいる。広い道は急ぐ道、そして、ただここからあそこに行くだけの道ではないだろうか。 イエス様が言われる。 「狭い門から入りなさい」と。 狭い門はゆっくり歩く道。子どもをはじめ小さい者が安心して歩ける道。そんな道が命に通じるのかも知れない。広い道を歩けないといって嘆くより、狭い道を自分のペースで楽しく歩くことにこそ、人間の自由もあるのだろう。 こんな詩を読むと、歩きたくなる。 そして、金曜日の午後、ちょっとぶらぶらと近所を1時間半ほど歩いてきた。普段知らない小道を通ったり、新しい発見もいろいろあった。 この本との出会いがすべてのはじまりでした、と帯にあって、次の映画が紹介されていた。 他、長田弘さんの本には次のような興味深いものがある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Nov 1, 2009 10:39:40 PM
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