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カテゴリ:教会
最近「なるほど」なんて思いで、感じてしまう聖句があります。
箴言6章6節以下 「怠け者よ、蟻のところに行って見よ。 その道を見て、知恵を得よ。 蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが、 夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食料を集める」 別に聖書じゃなくてもいいような格言で、アリとキリギリスなども思い起こさせるものですが、聖書の背景を知ると考えさせられることがあります。 イスラエルの民にはダビデという優れた王もいましたし、イスラエル王国という形で歴史に名を残しましたが、一方で人間の王を立てる必要は無く、神に直接任命された裁き司(士師)が人々を治めるという伝統もありました。人間にとって真の王は神以外にない、ということなのです。ですから、王を立てたいという民の願いに対しても、サムエルは次のような言葉で警告しました。 「あなたたちの上に立つ王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。...また、あなたたちの娘を徴用する。...また、あなたたちの最上の畑...を没収し、家臣に分け与える。...あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。 こうして、あなたたちは王の奴隷となる。その日、あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。」(サムエル上8:11以下) このような警告にもかかわらず、人々は王を立てました。それにより専門的な軍隊を作ることができ、異民族との闘いに勝つことができると考えたからですし、国内の秩序も保たれると思っていたからです。 そういう意味では、危機的な状況において、人間の側では、いつも強いリーダー、しっかりとしてリーダーを求める傾向があります。 今の日本もそうではないでしょうか。この数年間、首相が長続きしない状況があります。ますますしっかりとしたリーダーが求められるのですが、上に立つリーダーばかりを頼みの綱とするような者に対して、箴言の聖句は「怠け者よ」と呼びかけているように思えてなりません。自らができることをないがしろにしてはいないだろうか、自らの責任を忘れてはいないだろうか、ということです。 菅直人政権になって、支持率が60%に上がったなんて記事を読むと、ますます他人任せな民意を感じます。指導者や支配者がなくても、すべきこと、しなくてはならないこと、言わなければならないことをすること、それだけはまず一人一人が求められていることでしょうし、民主主義という世の中において成熟した市民が育たなければ、どんなに良いリーダーが生まれても社会が変わることはないに違いありません。強いリーダーばかり求めていると、下手をすると、ヒトラーのような人が現れて、変な方向に社会を向けてしまいかねないと危惧するのです。 もっとも僕自身も、他人任せでないか、というとそうでないところも多々あるわけですので、以上のようなことを反省しながら自問自答するわけです。日々の仕事に追われるだけでなく、地道で着実な歩みをしていきたいと思っています。 ちなみに、聖書で人々と神との関係が羊と羊飼いの関係になぞらえて表現されていることがありますが、羊の場合も、特にボスや支配者がいるわけではないとのことです。ですから、神という導き手、養い手を必要とするとのこと。人間を超えた規範がますます必要な時代なのではないか、とも考えさせられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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