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カテゴリ:映画
『遺体―明日への十日間』石井光太原作 君塚良一脚本・監督 西田敏行主演
山形村アイシティシネマのメンズデイに合わせて、ようやく見に行くことができました。以前、見に行こうと決めていた日があったのですが、お葬式が入ったりしていくことができなかったのです。 知人の中には、映画を見るのが怖い、という方もいたのですが、私自身は、映画だし、あまりリアルには遺体が映るということはないのでは、という思いがありました。震災があった直後の様子に関心を持っていましたし、釜石や大鎚の町並みがどんなふうに映っているのだろう、と興味がありました。 映画では、震災直前の人の様子が描かれた後、地震があったときの揺れや津波については、何も描かれず、その直後に、町を津波が襲った、人が沢山亡くなった、という情報が行き交うところから物語が展開していきます。 山手のほうの人たちは、地震の被害が大きい、と思って、津波には、ほとんど頭がいっていない、その被害がどれほどのものか想像がついていっていない、ということが、弟から聞いていたこともあって、リアルだと思いました。 そして、遺体安置場所となった体育館を舞台に、ほとんど外の様子は描かれることはなく、「ご遺体」と向き合う西田敏行扮する相葉恒夫や市の職員、医師や歯科医たちの働きが描かれていきます。 亡くなっていった人たちの体が運び込まれ、皆が立ち尽くしてしまうところで、まず涙が溢れ、その後、妊婦さんの遺体、子どもの遺体、助けられなかったと罪悪感を持ち続ける母親などが登場し、また、自分の知り合いが検査する遺体の中にあることが分かって涙する歯科医、またお世話になった人の遺体を前に号泣する歯科助手の様子も、ぐっと迫るものがありました。 私自身、釜石に行ったときにも、今日、海のほうで一人見つかった、とか、人が手をつけていないところで片付けに入るときに、「(亡くなった人が)出るんじゃないか」と町の人が声をかけてこられたことを思い出しました。 その中でも、相葉が遺体に声をかけていく、家族に慰めの言葉をかけていく、という中で、市の職員の「僕らには言葉があるんですね」というセリフがあり、言葉を失った、ということがあっても、言葉の力が持つところを改めて教えられた感じもしました。 ただし、映画についてではないのですが、なんと映画を見ている途中に、携帯電話が鳴り出し、その電話に出て話をしだすおじいさんがいたのにはびっくりしました。私の席の前だったのですが、一度電話がなったら電源をきるか、マナーモードにしておけばよいのに、再びかかってきました。さすがに二度目のときは席を外しましたが、電話にどうしても出なきゃいけない状況があるのなら、映画を見てはいけないし、映画を見るなら、他の人の事を考えて電話にでない、電源を切っておく、ということを徹底してほしい、と感じました。 ところで、畠山直哉さんの『気仙川』を読んでいたときに、自分自身が最初に釜石や大船渡に行った時のことも思い出しましたが、震災直後の動揺や恐れや悲しみを忘れてはいけないな、とこの映画を見ながら、思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Apr 18, 2013 03:44:56 PM
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