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カテゴリ:オーラソーマ(子育て)
いろいろ考えすぎてすっかり心身を疲弊させてしました。
たった数ヶ月の間に、白髪交じりの頭になってしまい、 ショックを受けています(笑)。 考えることは書ききれない位にたくさんあったのですが、 なかなかパソコンに向かうこともができませんでした。 世話をするべき御曹司がいなくて一人だったら、心のバランスを崩していたかも。 (充分崩してる、といううわさも…) 結局、オットのことが心底嫌いになれないことが苦しいのだと分かりました。 「オットのことが好き」という気持ちに 「もう離婚するのに」とか「あれだけコケにされたのに」とか 「もう嫌われてるのにバカなんじゃないの?」とか 「好きとか嫌いとかって、それはエゴだよ」とか、あれこれ 終わりのない思考のワナにハマって苦しい思いをしてきました。 でも突然、 「好き」、ただその気持ちだけでいいじゃん、と思いました。 うまく説明できないけど、「好き(愛)」に理由をつけようとするから しんどいんだと思いました。(決して考えるのをあきらめたのではありません) 関西ではあまり「愛」という言葉を使わず、「好き」という言葉を使うので、 私もそうしていますが、「好き」とか「愛」とか「思いやり」とか でもこの際、言葉は何でもいいんです。 「好き」に理由はいらないじゃん。 「好き」な対象から必ずしも好かれてなくていいじゃん。 「好き」なもの(または人)と必ずしも一緒に暮らせるわけじゃないじゃん。 なんかうまく説明できないんだけど…。 きっかけは子供を見ていて、です。 私は御曹司のことが大好きです。 時には破壊大魔王だし、調子に乗ったら暴れん坊将軍だし、 満面の笑顔で水晶のブレスレット引きちぎるし、 最近気に入らないことがあったらジタバタ泣き叫ぶし、 それに、こんなに大変な思いをして手間ひまかけても、 いつか大きくなったら私から離れていくんだし…。 でも、私の意に添わなくても、そばにいてくれなくても 子供は私にとって「好き(大切)な人」なんです。 これは今回たまたま「子供」を通して思ったことですが、 別にペットでもいいし、お気に入りの骨董品でもそう思うかもしれません。 じゃあ、オットだって私の意にそわないことをしても いつか私から離れていっても、ただ、「好き(大切)な人」、 ただそれだけでいいんじゃないかと思ったのでした。 うまく説明できないんだけど…。 もう自由にどこへでも行っちゃえ! (貰うものはしっかり貰うがな、ウヒヒ(爆☆)) くどいようですが、決して考えるのをあきらめたわけではないんです。 今でも、やり直せるものならやり直したいです。 でも、こうなってしまってはもう仕方がないんです。 辛いけれど、一方で憑き物が落ちた感じがしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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