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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
中村区太閤5に鎮座する嚴島神社。
名古屋駅から南西900m程の中村区太閤5に鎮座する嚴島神社。 上は明治31年の地図で右はほぼ現在の地図。名古屋駅西側は駅近の好立地ながら、こうした住宅が立ち並び下町の趣が漂う所が多い。 嚴島神社はそんな町並みの中に埋もれるように鎮座します。 笈瀬村牧野集落の南西に位置し、当時集落の周囲は田園地帯で、吹き抜ける風も心地よかっただろう。 今や水田は姿を消し、アスファルト化された街を吹き抜ける風は熱波でしかない。 水辺でもあれば少しは違うのだろうが、河童が出没した笈瀬川も今はありません。 柳街道沿いの河童がいた須佐之男社から西の通りにあたり、西向きに写真の社頭があります。 社頭右に昭和33年寄進の「嚴島神社」社標と正面に提灯櫓、左に由緒書きが建てられています。 社頭由緒の内容は以下。 「嚴島社 御祭神 市杵島比賣命 祭事 1月 元旦祭 10月 甘酒祭 10月 秋季例大祭 12月 大祓 由緒 延享4卯年(1747)9月16日当地に御鎮座あり。 古くより宮裏神明社、椿神明社と共に牧野三所社の一なり。 明治初年無格社と定められる。 後年昭和37年(1962)椿神明社と合併、椿神明社境外末社となる。 毎年10月16日執り行われる甘酒祭は、往古悪疫流行の際、御伊勢川(簗瀬川)の清流を汲みて作りし甘酒を神前に供し悪疫を鎮めたりとの口碑あり。」 見た目から長い歴史を有する神社に見えないかも知れないが、古くからこの地の守護神として崇敬され、この地の移り変わり見てきた神社。 境内に入ると一対の常夜灯があり、参道先の左に南向きに鳥居が建てられています。 竿の一部が欠損した常夜灯、寄進年は明治32年(1899)と読めました。 太平洋戦争以前からここに立っている燈籠です。 鳥居に続く参道は幅が狭く、鳥居正面から本殿の姿を入れて撮影できないほど。 本殿域は全周を水路で囲まれており、鳥居から本殿へは神橋が架けられています。 鳥居から嚴島社本殿と狛犬。 望遠もなく、狛犬にはここまでしか寄れず寄進年など読み取れなかったが、外観に欠損・罅など見られず空襲や震災の影響は受けていないようです。 見世棚造りの本殿。 延享4卯年(1747)創建の当神社、現在の社殿が何代目かは不明ですが、氏子により現在に至る迄受け継がれて来たものです。 街中にあって、人の目が届かない水路で囲われた無人の神社、リスク管理の対応でしょう、鳥居から先は立ち入り禁止となっています。 その昔は笈瀬川の流れを引き込んでいたと思われ、大きな金魚や鮒が泳ぐこの水源、どうなっているのか興味のあるところです。 参道東側から社頭の眺め。 正面から見た神明鳥居と本殿の姿は到底望めるものではない。 駅近の小さな神社かもしれませんが、牧野集落を見守り続けてきた三社のひとつです。 厳島神社 創建 / 延享4年(1747) 祭神 / 市杵島比賣命 所在地 / 名古屋市中村区太閤5-1-13 参拝日 / 2024/08/02 牧野神明社から厳島神社 / 西へ徒歩10分 関連記事 ・須佐之男社・迦具土社 ・牧野神明社 過去記事(牧野三社) ・椿 神明社 ・稲穂社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.09.05 00:00:25
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