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2024.09.13
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
長当(ながら)神社。
琵琶湖西岸の長当(ながら)山の南西の麓の大津市三井寺町に鎮座する神社。
三井寺町の地名が示す様に三井寺境内の観音堂から東に降りたところに鎮座しています。

写真は三井寺町内の東西に延びる長当神社に続く参道で、道路を跨ぐように大鳥居を構え、その先の朱の楼門へ続いています。

鳥居扁額は「長当神社」とある。

背の高いビルが聳え、視界は効かないが、昔なら鳥居の先には琵琶湖が望めたはずです。

朱も鮮やかな楼門正面全景。
左右の間には随神の姿も見えます。

楼門脇の長当神社社歴。
「長等神社社歴
 御祭神 建速須佐之男大神、大山昨大神、宇佐若宮下照姫大神、八幡大神、市杵島姫大神
由緒「例祭日 五月五日」
 天智天皇が近江大津宮へ遷都(西暦667年)の際に都の鎮護として、須佐之男命を志賀の長等山岩座谷 の地に祀られたのが始まりである。
天智天皇(669)5月5日、天皇か宇治山科から帰途のおり当神社へ弓矢を奉納され、これにより大友興多王(天智天皇の御孫)かその日を祭日と定められて以来、今も5月5日を例祭としている。
 貞觀2年(860)2月、三井寺一山を開祖された智証大師(円珍)が日吉山王神を勧請し、一山の守護神として祀られ、新日吉社又は新宮社と称するようになった。
天喜2年(1054)4月、現在地に遷宮され、その地を神出と称することとなった。
 永保元年(1081)4月、白河天皇は勅使を参向せられ、平安を祈願された。
延元元年(1336)正月、南北朝の戦乱によって社殿や楼門その他の建物を消失した。
 興国元年(1340)足利尊氏によって再建され、社殿壮麗にして十二の廻廊や楼門その他多くの建造物があり、湖南の大社といわれ、皇室を始め武将や多くの民衆から深く崇敬され隆盛をきわめた。
明治16年(1883)現在の社号(長等神社)となった。
 明治37年(1904)鎌倉様式を基本として、平安、室町時代の和様建築の枠を取り入れて 現在の楼門を復興した。
明治43年(1910)1月、県社に列せられる。
 昭和47年(1972)1月一日、楼門が中世の優れた社寺建築様式の再現を評価され、大津市指定文化財の指定を受けた。
この様に当社の歴史は古く、1350有余年の幾多の変遷を経て今日に至っている。」

個人的に、大津から京は離れていると感じるが、一山超えればすぐそこなのだ、京の鎮護を担って創建された長等神社は、三井寺からの帰り道にササッと写真に収めるだけの神社ではないのが今更ながら分かった気がする。

「大津市指定文化財
 建造物 長等神社楼門一棟。
大津市三井寺町。
 この楼門は、三間一戸、屋根入母屋造、檜皮葺の構造をもっています。
技師安藤時蔵、技術員青池安太郎の設計のもと、明治37年5月起工され、同38年2月に竣工した。
 この楼門は、比較的小型ながら、上・下の均斉が美しく、左右の広がりも適度に、また各部の曲線も美しくとられ、すぐれた姿をしています。
室町時代(1336-1573)頃の様式にのっとった秀作で、明治時代の楼門の代表作とされている。
 また、建築にかかわる棟札や図面などの資料もよく保存されています。
昭和47年7月1日大津市の指定文化財となる。
大津市教育委員会」

楼門の先の拝殿。

左右の間の随神。
この像も明治の再建の際に造られたものだろうか。

境内から見る楼門、内側の間に像は安置されていなかった。
右手に手水舎があり、その後方に笠森神社が鎮座します、帰りに参拝するつもりで忘れていました。

社殿から少し離れて建てられている入母屋妻入りの拝殿。
狛犬の寄進年は未確認です。
初見では神楽殿にも見え、賽銭箱や鈴はありませんが、神社HPのマップによれば拝殿でいいようです。

長当山を背にして鎮座する社殿。
社殿右には馬神神社、左に榮稲荷大明神などの境内社が鎮座しています。

神門は本殿を取り囲む様に廻された回廊と一体になったもの。

神門前には青銅製で凛々しい姿の狛犬が守護する。

鈴や賽銭箱は神門にあり、こちらで参拝します。

本殿。
檜皮葺で唐破風向拝の付くかなり大きなもので、少なくとも三つの扉が見えます。
祭神が建速須佐之男大神、大山昨大神、宇佐若宮下照姫大神、八幡大神、市杵島姫大神の五柱を祀る事から五間あるのかもしれない。

本殿左の境内社。
右から栄稲荷神社、末春稲荷神社、権平稲荷神社、駒竹稲荷神社。

栄稲荷神社。
詳細は不明、祭神は栄稲荷大明神。

二つの鳥居の右が末春稲荷神社、権平稲荷神社のようですが、社はなく、注連縄が巻かれた御神体の岩が台座の上に安置されています。
左の鳥居が駒竹稲荷神社とありますが、台座の上に社はなかった。

長等神社社殿の右に鎮座し、参道の先には二社祀られています。

右手が大津馬身神社。
社名のとおりで馬の守護神として、古くから崇敬されてきた神社。
車の無い時代、農耕・移動・運搬に馬は必要不可欠、古い民家には母屋のなかに厩があり、共に生活する程大切にされていました。
馬が病気にかかると人々は病魔を妖怪(馬魔)とと捉え、家族の一員ともいえる馬の健康や安全を祈願するため当神社に訪れたそうです。
生活スタイルが変わった現在は、競馬ファンが馬の名の木札や馬の形の絵馬を奉納し祈願するようです。
以前は大津の町中に鎮座していたそうですが、明治34年に境内に遷座されたようです。

両御前神社。
社名から二柱が祀られているようですが、長等神社の本殿域に添うように鎮座し、祭神と縁の深い方が祀られているのだろう。
調べて見たが詳細は分からなかった。

長い歴史を持つ長当神社、三井寺参拝の帰り道、電車の時間を気にしながら参拝する神社ではなかった。

長当神社
創建 / 天智天皇6年(667)
祭神 / 建速須佐之男大神、大山昨大神、宇佐若宮下照姫大神、八幡大神、市杵島姫大神
境内社 / 笠森神社、栄稲荷神社、末春稲荷神社、権平稲荷神社、駒竹稲荷神社、馬身神社、両御前神社
所在地 / ​滋賀県大津市三井寺町4-1 
参拝日 / 2024/08/22
公共交通機関 / JR東海道線大津駅から徒歩で​北西に約20分
又はJR東海道線大津駅石山駅から京阪電鉄石山線で三井寺駅降車、琵琶湖第一疎水沿いに​徒歩10分
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Last updated  2024.09.17 11:53:27
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