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カテゴリ:立原道造の森
立原道造記念館の新春企画展が始まりました。
テーマは「立原道造の世界6 書簡を中心として[後期]」ですが 内容は記念館に足を運んでいただき ご自分の目でご覧になっていただくとして、 今日はひとつ、立原道造の書簡についてちょっとお話を。 立原道造ってダレ? 知らない方も多いのかも。 中原中也の名前は知っていても 道造を知らない方は結構いたりします。 この名前をなんて読むんですか?とお聞きになる来館者もときどきおられて たちはらみちぞう、と改めてお話したりします。 詩人で、建築家で、昭和14年に24歳で亡くなって、 こう定番情報をとりあえずお知らせしまして、 さて、その書簡、てがみですが、 わたしが立原道造に凝るようになったのも 何を隠そう、その手紙からなんです。 大体ワタシは、詩を読むのが実は苦手で(^^;) 作者の世界になかなか入り込めない。 それがこんなに詩を読むようになったのも、 ある日、道造の全集の端本を鎌倉の古書店で見つけ その5巻本全集の体裁がいたく気に入ったことに加えて その全集は編年体というのでしたっけ、 年代ごとに、ちょっと無理しつつまとめてあって 『日曜日』とか「萱草に寄す』とか、それぞれ、そのときの代表的な詩集名を 帯のタイトルとしてあったのもとても素敵で そしてその中でそれぞれ、詩、物語、ノオト、書簡、というふうに 載せられていたので、道造の書いた手紙を初めて読むことになったわけです。 そこですっかり、立原道造という詩人にはまってしまいました。 ハナシには聞いていたけれど、という感じで【笑 いいだろうなとは思っていたけど、 こんなにイイとは思いませんでした。 さて、わたしがそんなに夢中になった手紙のひとつを その5巻本全集第一巻(『日曜日』)からお知らせしましょう。 五五 [国友則房宛 九月三日] 則房よ。僕は上野ステーションの三等待合室にゐるんだ。ここがすつかり 気にいつちやつた。僕の部屋の二○○倍位広いよ。いろんな人が汽車を待つ てゐる。僕だけなにも持つてゐない。今はおひるすこし前だ。この待合室で 汽車弁を売つてゐないからどうしよう。今、僕の前を四つか五つの女の子が お尻をまくつて裸足でかけて行く。その母らしい若い女の人がいつしよに。 女の子はおしつこつて叫んでゐるよ。それから僕の前に、若い夫婦づれが荷 をいつぱい持つて坐つてゐる。ちやうど今拡声器が何か告げた所だ。僕には いつでもその声が何をいつてゐるのかわからないんだ。大ぜいの人がすこし あたふたと立つて行く。前にゐた人たちも行つてしまつた。お腹[「ナカ」 とルビ]がへつて来たよ。上野ステーションの外は雨降る天気だ。僕はコー モリ傘を持つてゐない。おひるをどうしたらいいかしら。なぜこんな心配の あるとき、君に向つてたよりを書き出したんだらう。ここに坐つてゐるとい つもはもつとすばらしいことばかり書きたくなるのに。 角川版5巻本全集第一巻所収 なんでもない手紙なのですが、なんだか好きで、 この、立原が良く、用がなくても行った上野駅のその場所、 今はもうないけれど、わたしもちょっと行ってみたりしました。 ほかにも素敵な手紙が全集には満載。 筑摩版の新全集の中の書簡集も楽しみです。 立原道造記念館の新春企画展では 道造が死の前に旅した九州旅行の途上で 婚約者の水戸部アサイさんに送った デパートのレストランの紙ナプキンに書いた手紙も展示されており、 展示チラシにはそのナプキンの手紙がデザインされています。 2009年のお正月も今日で3日目。 正月ドラマやお笑い番組に見飽きたら、ちょっと足を伸ばして 文京区弥生、東大の弥生門の前にある 立原道造記念館にぶらぶらお運びください。 70数年前の古くて新しい手紙があなたをお待ちしています。 ☆☆☆コメントにご返信☆☆☆ 書込禁止範囲を設けてあるのですが そのためか、いただいたコメントに なな猫本人もコメントできない不具合が生じました(-_-) 楽天さんの今後の課題です:-) というわけで、シーナさんへのご返信を ここに書かせていただきます。 シーナさん、書込ありがとうございました! 立原道造って、当時でもいろんなことに夢や関心を持った人でしたから 現代のツールを使ったらどんな新しいことに挑戦しただろうかと思いますね! 拙いサイトにお寄りいただき、本当にありがとうございます。 これからもよろしくお願いします(*^_^*) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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