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カテゴリ:なな猫のあれこれ読書日記
なな猫通信は、文学部と猫部で出来ていまして
文学部のほうは、もっぱら立原道造に終始している感じですが 実はなな猫さん、 立原より宮沢賢治とのほうが、読的お付き合いが長いのです。 小学校の5,6年生だったでしょうか、 こどもに本のお土産をするのが好きだったわたしの父が 商売上で大阪に出向き、帰りのお土産に いつものように持って帰ってくれた本、 それが、わたしが初めて読む宮澤賢治の本でした。 宮澤賢治の本というより、いま思えば、賢治の伝記物語だった。 そのなかに、れいの、「雨ニモマケズ」が出ていて 幼いわたしは、それこそこの数行に取り憑かれてしまったのでした。 今でもそらでいえます。 雨ニモマケズ モ 雨ニ マケズ モ 風ニ マケズ 雪ニモ夏ノ暑サニ モ マケヌ 丈夫ナカラダヲ モチ 慾ハナク 決シテ怒ラズ イツモシヅカニワラッテ ヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ 野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ 入レズニ ヨク ミキキシ ワカリ ソシテ ワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ 小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモ アレバ 行ッテ看病シテ ヤリ 西ニツカレタ 母アレバ 行ッテソノ 稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ 死ニサウナ人 アレバ 行ッテ コハガラナクテモ イゝ トイヒ 北ニケンクヮヤ ソショウガ アレバ ツマラナイカラ ヤメロトイヒ ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ サムサノナツハ オロオロアルキ ミンナニ デクノボート ヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフ モノニ ワタシハ ナリタイ パロル舎刊『賢治草紙』より この表記は、せっかくなので 最近東京古書会館の古書店で安く手に入った、 パロル舎の『賢治草紙』から載せさせていただきました。 遺されていた、賢治の手帖そのままの表記なのだと思います。 賢治がいいたかったことが、平仮名で書き下すより このほうが数倍伝わってくるような気がしますね。 幼いわたしが読んだのは、もちろん現代版の平仮名表記でしたが それでもこの、賢治という人の思いのようなものが 小学校5,6年生頃の少女のわたしに迫ってきて なんだかじわっと目に涙まで湧いてきそうになったことを覚えています。 中でも思いに焼き付いたのは、 南ニ 死ニサウナ人 アレバ 行ッテ コハガラナクテモ イゝ トイヒ の、この部分。 死にそうな人に何を言ってあげればいいというのでしょう。 幼いわたしにとって、死はまだまだ未知の よくわからない、でも大変恐ろしいものでした。 もう誰にも会えなくなる。 お父さんにもお母さんにも会えないところに たったひとりで行かなくてはならない、たぶん…… それを賢治は、「こわがらなくてもいい」と教えてくれました。 これは、世界を少しずつ認識し始めていたわたしにとって とても大きな体験だったように、 今思うと、思えます。 なな猫、いったい急に、なんでいま、宮澤賢治なんだと。 しかも「澤」の字まで旧仮名遣いで。 わたしは大体、立原道造と堀辰雄と 太宰治と山本周五郎あたりを ぐるりぐるり、読書の上で巡回しておりまして その周辺にときどき別の作家が来たりもするのですが ハイ、その古書店で見つけた『賢治草紙』で すっかり賢治アワーが始まってしまいまして 自分でも、凝り性だなあと感心するやら呆れるやらですが 前に買ってあったけど、ほとんど読んでいなかった、 井上ひさしの『宮澤賢治に聞く』や 賢治の弟さん、宮澤清六さんの書かれた 『兄のトランク』なんかにもすっぽりはまりこみ、 TSUTAYAで秋原正俊監督の『銀河鉄道の夜』を借りてきて、 新感覚の文芸映画というものを堪能しました。 それだけでなく、既にもっている三上博史主演、および緒形直人主演の 伝記映画2本のビデオと ますむらひろし原案のアニメ『銀河鉄道の夜』の 合計4本を代わる代わる暇暇に見ているありさまです。 ちなみに、三上博史の賢治のほうのお父さん、 仲代達矢のほうが、緒形直人賢治のお父さん、渡哲也より 東北弁も、賢治の父らしさも、いいような気がします。 アニメの『銀河鉄道の夜』のよさは、なかなかいいつくせませんが 特にわたしは細野晴臣の音楽が好きで 星祭りの音楽や、ジョバンニが印刷所を出て街に走って行くときの曲など 本当にすきです。 金田龍之介の、学校の先生、 常田富士男の、終わり部分の詩のナレーションもいいですねえ。 今後しばらくなな猫通信、賢治アワーにお付き合いいただく気配は濃厚です。 それでは最後に、『賢治草紙』に載せられている、 童話集『注文の多い料理店』の「序」から 賢治自身のことばを聞いて、 今日のなな猫通信日記を終わりにしたいと思います。 (タグが面倒なのでフリガナは省略しました) 序(童話集「注文の多い料理店」より) わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた 風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。 また、わたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちば んすばらしい びらうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをた びたび見ました。 わたくしは、さふいふきれいなたべものやきものをすきです。 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や 月あかりからもらつてきたのです。 ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月 の山の風のなかに、ふるえながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気 がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやう でしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、 ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつ きません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんな ところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしま ひ、あなたのすきとほつたほんとうのたべものになることを、どんなにねがふ かわかりません。 大正十二年十二月二十日 宮澤賢治 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2010年02月02日 17時36分30秒
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