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カテゴリ:立原道造の森
早いもので、雪ちゃん空ちゃん、二匹のエイズ姉弟が嫁[?]に行って
今日で1週間になります。 あれから二匹は順調に新しい環境に慣れていっている模様で 里親さまからも、日々うれしいお知らせをいただいています。 今日は、二匹を譲渡した日曜に ちょっと寂しい気持を胸に、久々にたどった 立原道造の生家跡付近の小さな旅を、ご紹介したいと思います。 昭和14年に24歳で夭折してしまった、詩人また建築家の立原道造は 日本橋は橘町の生まれです。 いまの、馬喰横山の駅のすぐ近くになりますが 行ってみると、こんな問屋街の出入り口が。 家業は箱の問屋だった立原道造ですが いま歩いても、ビルやマンションでかつての面影はないとはいえ 当時の問屋まちの匂いを感じることができます。 生家跡も、こんなビルになっていますが 近くには、ビルの間にこんな家もあって ここにはまだ、昭和が残っていました。 ちょうど、こんなかわいい「江戸バス」が停車。 ここは東京の日本橋なのですね、と改めて感慨。。 東京生活もようやく8年になろうとするなな猫ですが まだまだこういうことに、感激を新たにしております さて次は、道造散歩コースの定番、久松小学校へ。 歩いていると、こんな昭和な路地裏もあり すぐに久松小にたどり着きます。 ずっと主席で通した、学業優秀な少年、 大人しい男の子、道造くんが、弟の達夫さんと毎日通った学校です。 正門脇にこんな立原詩のプレートもあり 先輩を誇る小学校の方たちのこころがうかがわれました。 学校の脇は、ちょっとした桜並木の公園のようになっていて いまはもう桜も終わりですが この日は、運動場の桜も8分から満開というところ。 「ラジオ体操」の看板があったりして 道造と達夫さんも、ここにラジオ体操に来たのかなとふと思ったのですが 昭和3年11月に旧ラジオ体操第1が開始されたそうですから 昭和3年というと、14歳。 まあギリギリ行ったかもですね[笑 道造散歩定番コースの次は、明治座です。 立原道造がよく行っていたという幼少時の頃とは位置が違うそうですが とにかく明治座、ここも地方出身者なな猫、今でもちょっと感慨アリ[笑 この幟の列も、撮らずにはいられない。。 ゆら/\ととだえがちなる 明治座のうつせるかげに すゞかけの散る 浜町の河岸はうれしき 明治座の木の入るときは、 遠くきこゆる。 筑摩版『立原道造全集』第3巻所収 「夢はいつもかへつて行った 山の麓のさびしい村に」 わたしも、どうしても好きなこのフレーズではじまる 「のちのおもひに」を初めとして 立原道造といえばソネット、十四行詩 ではありますが、ソネットにたどりつく前の道造は こんな「お江戸」なうたを詠んでいたころもあって まさしく、世界は日本橋。 この人は本当に、東京、下町の少年だったんだなと 明治座あたりを歩いてみて、改めて思います。 立原道造と日本橋。 これまで、ありそうであまり論考がなかったと思いますが いつか書いてみたいテーマです。 最後は、道造がよく訪れた浜町公園。 ここで、こんないかにもなポーズで写された道造ですが 立原道造記念館 浜町公園の立原道造 2010年4月初旬の浜町公園は 折しもお花見真っ盛りでした 立原道造生家付近の定番散歩コース、 いかがだったでしょうか。 前にもここを歩いて、なな猫通信にアップしたことがあり なかなかこれ以上を廻れないのですが(-_-;) ことしの桜を追いながら、久々にたどった立原道造の生家跡でした。 さて、最後に、雪ちゃん空ちゃんの 里親さまが送ってくださった最新画像をどうぞ 猫タワーを占領している模様。 もうかなり慣れて、 雪ちゃんなど、あそぼと行ったチップスくんに猫パンチしてるそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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