エストニアの首都タリンの旧市街は「タリン歴史地区」として
ラトビア、エストニアの首都旧市街と同様
世界遺産に登録されています
タリンは中世ハンザ都市の一つとして栄えた港湾都市で
現在もバルト海クルーズの主な寄港地の一つ
1291年にデンマークに占領され「レバル」と改名
1918年にエストニアが独立してから「タリン」となった街名
タリンはエストニア語で「デンマーク人の城」という意味だそう
今年2018年は独立100周年、お祝いムードに包まれています
街中で見かけるこのサイン、2018年と100年をかけています
ラトビアの首都リガ、リトアニアの首都ヴィリニュスも
城壁都市でしたが、繋がった城壁はほとんど現存せず
あまり城壁都市のイメージは沸きませんでしたが
ここタリンはかなり城壁が残っていて
城壁に取り囲まれた旧市街はこじんまりとして
中世の雰囲気がより濃く残っている気がします
旧市街は貴族や支配階級が住んでいた上の街と
職人や商人など一般の人たちが住んでいた
下の街に分かれています
上の街、トーンペアの丘から行ってみよ~
13世紀前半に騎士団の城として建てられ
代々の支配者の住まいとなったトームベア城の
高さが50.2mの「のっぽのヘルマン塔」
こんな隙間?から城内に入っていきます
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂が チラッ
1900年にロシア正教の教会として設立された
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂が チラチラッ
エストニアを支配していた帝政ロシアが建てた
ロシア正教会なので再独立を果たした後
潰してしまえ~という声もあったとか
中に入るのは後ほど…
城壁に入ったところにはデンマーク国王の庭園
デンマーク王とその軍が1219年にエストニア侵攻時
宿営を行った(らしい)ということからの名称だそう
3人の修道士像 …祈るモンク …聖書を読むモンク
と、捧げる?モンク
13世紀前半にドイツ商人居住区に建てられ
要塞としても機能した聖ニコライ教会
現在は教会としては利用されておらず
宗教芸術のみを展示する博物館になっています
上の街と下の街はピッケヤルグ(長い脚)と
ルヒケヤルグ(短い脚)と呼ばれる2つの小路で
繋がっています …こっちは短足の方(≧▽≦)ゞ
ちょっと
不気味なおちゃめな花達を眺めつつ…
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂に向かってテケテケ
こちらがアレクサンドル・ネフスキー大聖堂の正面
ようやく到着かいっ って、これも側面だったわ
正面ファサードは現在修復中でした~
入場は可能ですが正教会ですので写真は不可
ちょうどミサが行われていて
荘厳なひとときを過ごさせていただきました
これがトーンペア城
1227~1229年にドイツ騎士団が建てた石造りの要塞で
それ以来ずっとエストニアの権力の中枢であり続け
現在は国会議事堂(リーギコグ)になっています
あら、ずいぶんと飛び出ていること …どなた?
1233年に設立されたルーテル教会の聖母マリア聖堂
それ以来何度も再建されていてドームの部分は14世紀
バロック様式の塔は18世紀に加えられたそうです
聖堂内にはドイツ人貴族の紋章が飾られ
彼らのお墓となっています
トーンベアには2つの展望台があり
コフトゥは旧市街の屋根の向こうに
新市街のスカイラインが見えるという展望台
トーンペアの丘の北端にあるパットクリ展望台は
石灰岩の崖の上にあり、城壁と塔が見え(トップ写真)
聖オラフ教会、この日はクルーズ船が寄港していた
海まで見渡せるという特等席
おとぎ話に出てくるようなタリンを満喫!
この頃には慣れてきたけれど…
土産物屋さんに必ずと言っていいほどいる
ニットでできているお人形が …ちょっとオブスなのよね
ここから1903年に建設された曲がりくねった階段を
下りていくことに…
下りたところはシュネリ公園
フラワーフェスティバルが8月まで開催されていた
とのことで、きれいな花々がまだ残っていました
ダリアとコスモスもいっぱい
疲れてきた… かな
そろそろ休憩 …よね
下の街まで下りてきたのでそろそろランチ~
続きはこちら 8.【エストニア】首都タリン 世界遺産の旧市街 ローワータウン ~ラエコヤ広場
2018年9月:バルト3国、リトアニア~ラトビア~エストニアの旅トップに戻る
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