チュニス郊外にあるローマ遺跡のブラレジア
紀元前4世紀にブラの泉を中心に広がった街が起源で
ブラレジアと呼ばれるようになったのは紀元前2世紀のこと
朝からどんよりとしていた空…
とうとう降ってきました 雨 …しかもかなり本気で( ;∀;)
ローマ以前はヌミディア王国の首都だったブラレジア
ヌミディア王国とは…
チュニジア北西部からアルジェリアにかけてにあった
ベルベル系民族の国家でカルタゴの支配下だった国で
強大な騎兵隊を持ち第2次ポエニ戦争時
ハンニバル軍を勝利に導いたのも彼らの貢献が大きかったとか
あら変顔…
第2次ポエニ戦争のときにはカルタゴ側についていた
ヌミディアですが… その後国王マッシニッサが
王位をめぐって国を追われものの
ローマ軍の援軍を得て復活っ!
なのでローマの同盟国になりカルタゴの領土を侵略
第3次ポエニ戦争のきっかけを作り
カルタゴ滅亡に力を貸した国です…
2世紀に造らた皇帝セプティミウス・セブェルスの
妻の名前がつけられたユリア・メムニアのテルマエ
結局その後ヌミディア王国はヌバ王の時代に
反カエサル側について滅ぼされてしまい
ローマの属州となってしまったのですけどね…
テルマエには柱が残っています
ところどころモザイクも残っていて
雨で光るモザイクはキレイ
このころにはずぶ濡れ …半分ヤケクソになってきてます
属州にはなったものの街は発展を続け
ハドリアヌス帝の時代に絶頂期を迎えますが
ビザンチン時代以降は没落 廃墟に… 栄枯盛衰
いや~ 雨が似合う遺跡だわ( ´艸`)
半月型のシアターには
熊のモザイク …クマってアフリカにいたかしら?
水たまり半端なく…
ズボッてハマってしまい… 靴の中ビチョビチョ
そんなドシャな雨でも欧米からの観光客は
傘もささずお元気な様子 …あっぱれだわ
ローマ都市同様ココも上下水道が完備されていて…
お二人用?のトイレ にもモザイク残ってます
夏は涼しい地下で
冬は暖かい階上で暮らしていた住民
狩猟の家、漁業の家などが残っていて
というか、恐らくそうだったというお仕事毎に
モザイクが動物だったり、魚だったり…
なんだけど、あまりにも動物がリアルで
ついついパチリ…
全部アップするのもどうかと思いましたが選べず どんっ
上から覗く地下部分はすでに水瓶の如く
一番有名?なアンフィトリテの家には
すばらしいモザイクが残されています
よくバルドーに持ってかれなかったなぁ
2世紀のものというアフロディーテとトリトン
大きなモザイクでロープで囲われていましたが
バルドーに行かず、よくココに残してくださいました…
地下にあって屋根が残っているため保存状態が良いのですね
他にもビザンチン時代の金貨が見つかった宝物の家もありました
上から覗くだけだけど…
紫の花 きれいだわ
いや~ 濡れた濡れたの濡れネズミ状態
飲み物どうします~ の問いかけに
「赤とロゼっ!」(もちろん?ハーフボトルですが)
と即答の女子二人
だって寒くなっちゃったんだもん
って答えになってないけど(ノ≧ڡ≦)
MAGONは赤・白・ロゼと全部いただきましたが
どれも飲みやすくてデイリーワインにぴったり
ランチはサラダとチキンのグリル
ワインのおかげですっかりほっこり温まりました
チュニス郊外の標高600mにあるドゥッガ遺跡
チュニジアに数多いローマ遺跡ですが
規模、保存状態とも最も良い遺跡の一つと言われていて
1997年にアフリカを代表するローマ・ビザンチン
複合遺跡として世界遺産に登録されています
オリジナルは168年にドゥッガの指導者の一族の一人
マルクス・クアドルトゥスによって建てられた古代劇場
現在のものは修復されています…
丘の斜面を利用して造った19段の観覧席
最後部は15mの高さがあり遺跡を見渡すポイント
ですが、はい、午後も雨模様は続いておりまして とほ
「牧場」を意味するドゥッガ
もともとベルベル人が住んでいた土地ですが
ヌミディア人が住むようになり繁栄していきますが
紀元前4世紀にはカルタゴからフェニキア人が入ってきて
紀元前3世紀にはカルタゴの支配下に入りました
第2次ポエニ戦争終戦後の紀元前202年に
再びヌミディア国王マシニッサの支配下に戻りました
古代ローマの都市の中心地
フォルム(広場)と隣接するキャピトル(神殿)
ユピテル(ジュピター)、ユノー(ジュノー)
ミネルヴァの3神を祀る神殿は
マルクス・アウレリウスとルキウス・ヴェルスの
二人の皇帝に捧げられたものです(トップ写真)
カルタゴの滅亡後紀元46年にはヌミディア王国も
ローマに敗れローマ帝国の領土となりました
最盛期には少なくとも1万人もの人々が住んでいたとか…
それも長くは続かず… 衰退していったのです
地上から8mの高さの柱廊玄関を支えているのは
6本のコリント式の円柱
内部の3つの聖室の中央には
当時6mに及ぶ巨大なジュピター像があったそう
キャピトル横にある風の広場
広場の北端には180~190年に建てられたマーキュリー神殿
東には2世紀のアウグスタン・ピエティ神殿
南側には市場面しているまさに街の中心地
舗石に12種類の風の名前が彫られているのが名前の由来
アフリカは風の名前の一つだったのね…
オリーブの木々に囲まれた高い塔は
チュニジアにあるローマ時代以前の建築物の中で
わずかに残ったものの一つリピコ・ピュニック廟
紀元前3世紀のヌミディアの指導者を記念したという
碑文が残されていたそうです
高さ21mの廟がローマ時代以降も残されてきましたが
1842年、碑文が大英博物館へ持ち出される際に崩壊
現在の姿は後にフランス政府によって再建されたものです
向こうの方に見えるのはユノ・カエレスティス神殿
紀元222年に女神たちを祀ったとされる神殿で
5世紀のビザンチン時代にキリスト教会に変えられました
ローマ時代のモザイク…
公共トイレ でかっ( ´艸`)
カクタスが似合う遺跡です…
さてさて遺跡2か所は中々大変な行程でしたが…
雨だったのもあるけれどね
チュニスに戻ると ふぁあ~街だぁ
しかもめちゃくちゃエキゾチックな…
アラブ風のレストランでディナーだったのだけれど
豪邸を改築したレストランはゴージャス
な、中…
優雅にお食事のはずが
アルコールの提供は無しとのこと
飲むためのようなメニュでお水はキビシー
続きはこちら 10. 世界遺産チュニスの旧市街メディナ ~ザグーアンの水道橋 ~帰国
2018年10月:マグレブのチュニジア、地中海からサハラ砂漠への旅トップに戻る
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