|
カテゴリ:スピリチュアル
私は昨日知人にこんな癒しがあることを聞きました。
「ごめんなさい。愛しています。ありがとう。」 ふぅ~ん、なるほど。やってみよう。寝る前にこの祈りを少しやってみました。 それは決して嫌な作業ではなかったけれど、少し痛い、切ない、けれど優しい祈りでした。 そうして他者への祈りから始まり茫漠とした世界の人々、 最後に自分の家族・子供たちと身近な者たちになるにつれ、やはり強い感情が働きました。 私の中には多く「罪悪感」があることを発見しました。 「ゆるしてもらいたい」と思ってること。などなど・・・。 明けて今日の午前中はまたその話について洗濯物干し干し考えていました。 最近は引越しの作業なんかで余裕も無く、子供たちに怒り過ぎている事も反省して 心の中で、集中できないながらも 「ごめんなさい。愛しています。ありがとう。」と繰り返してみました。 わかる気がする。私がいつも思う世界観ににている。でも本当のところ、こういうのってどういうものなの? そんな気持ちを抱えつつ。。。 ただ繰り返してみたりしてました。 それでも午後になって時間がたつにつれ、子供たちに次々増やされる仕事。。。 やれ、こぼした。やれ、ケンカになった。おしっこトイレにまき散らした。オムツ換えずに逃げ回るチビッコ・・・。また汚した。ママーあれどこー? 本当に引越しの作業や手続きの電話もなかなかスムースには進まないのです。 「はいどうぞ」「はい、はいー」がやがて「えーまた?」「あーもう!」「あーもう!ねぇっ!ちょぉとぉぉっ!」と怒りに変わってくる私。 イライライライラ・・・・・ 「ねぇねぇ、ちょっとさ、またお外で遊んでおいでよ」 長女のターシャを促す。私のイライラモードを敏感に察知した長女は、 私が自分を落ち着かせるためにガシガシとヤカンを磨き始める様を横目で見つつ 下の子たちと共にお外へ。 うちの前は車が通らないので、いつも家の前の通りや坂道で遊んでいるのですが、 時折目の届かない坂の下のほうまで行ってしまってハラハラさせることがあるので いつも「おうちの見えるとこにいてよー。お姉ちゃん、よろしくね。」と言っています。 ヤカンがピカピカになってきて(引越しの作業の中やらんでもいいことだけど) やっと心も落ち着き、磨きながら「もっと子供たちを包んでやらなくちゃなー、 最近かまってあげれてないから。子供たちだって引越し前で落ち着かないんだし。」 と考えていたので 仕度をして子供たちを迎えに出ました。 「そうだ。あの角のコロッケ屋さんのお弁当を引越しする前に食べたい、って言ってたターシャのために、みんなでお散歩がてら仲良く買いに行くんだ。」 そう思って。。。。 表に出るとターシャの大声が聞こえてきた。 「楓ちゃーーーん!楓ちゃーーーーん!」 ・・・「!!!!」 走って行くと「楓ちゃんがいなくなった!」と息を切らしたターシャが。 「なんでちゃんとくっついてないの!?どこまで一緒にいたの??」とターシャを少し責めながら それでも内心私は「またその辺の庭先に入り込んで、ぴょこっと門から顔を出すんだろう」そう思っていました。 けれど、探しても探しても見つからない。。。 日がどんどん暮れてくる。暗くなったらやばい。 ターシャもニキも必死で大声で名前を呼びながら家の前の坂道をのぼったり降りたり・・・ 降りたり登ったり・・・・ニキはだんだん息がぜぇぜぇしてきている。 喘息のけがあって。それもあって、子供たちに楓が帰ってくるかもしれないから家でお留守番して待っていてくれないか?と頼むけれど、子供たちは「いやだ!一緒に探す!」と言い張る。 ***ちょっと長文になりそうなので一旦ここで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 7, 2008 11:08:08 PM
コメント(0) | コメントを書く
[スピリチュアル] カテゴリの最新記事
|