フリーダム
先日、社内の喫煙コーナーで僕を含めた喫煙党の数名が休憩しながら、いつものようにたわいもない話に花を咲かせていたときのことです・・・・「昔は自由に吸えてたのに、今は窮屈になったなあ・・・」ある愛煙家の社員があくびをしながらいつものように愚痴をこぼしました。僕もそこにかぶせて、分煙の不自由さを述べようと思ったとき、その場で最年長の41歳の先輩が、ため息混じりにこういったのです。「自由にタバコを吸うという発想は多分間違っているんやろうな・・タバコを吸っている時点でもうそこで自由は奪われてるから・・・・」全員、言葉を失いました。確かに僕たちタバコを吸っている人間は、自分の意思で自由に喫煙しているように錯覚していますが、実は吸いたくて吸っている人はほとんどいません。ニコチンの呪縛から逃れられない人間が体に悪いと言うことを知りながら、年間10万円以上の会費を収めて大切な自由な時間を喫煙に使っているのです。人間にとって自由という言葉は魅力的な言葉ですが、案外、この言葉が持つ意味合いを理解していない人が多いような気がします。自由時間をパチンコに使う人は多いと思いますが、その中の半数はパチンコ機の洗脳のもとパチンコを打たされている人たちと言えるのかも知れません。自由にいつでもキャッシングが出来る消費者金融・・・そこに自由なんてあろうはずもありません。いっそのことタバコもギャンブルも全て禁止にしたら・・・・何万人もの人間が呪縛から開放され、逆に自由を手に入れることが出来るのかも知れません。自分では自由と思いながら、目に見えないロープで拘束されていることはこの社会の中によくあることです。現代社会では基本的人権のもと個人の自由が保障されており、誰も束縛されないように法律ができているということで、暴力や権力で直接的に無理やり何かをやらされるということはほとんどありませんが、価値観の刷り込みや洗脳、習慣性の中で自由を奪われてしまうことはごく当たり前のようにあることに気づかなくてはいけないのです。ホストの巧みな価値観の刷り込みにより、奴隷のように貢ぐために毎日を過ごす女性は、暴力こそは使われてはいませんが、首に縄をつけられているのとほとんど変わらない状況におかれています。宗教の自由という言葉のもと、宗教にがんじがらめに自由を奪われている人もいます。本当の意味での自由を手に入れるためには、正しいものを正しいと見極める目と、こころの隙間に忍び込まれない意思の強さが必要なのかも知れませんね。僕自身、いつになったら、ニコチンの呪縛から逃れられるのか・・・・生涯で3回目の禁煙を昨日から始めてはみたのですが・・・