オーダーメイド
仕事が休みだったので、久しぶりにゴールデンのテレビ番組を見る機会ができました・・・・目に飛び込んできたのはヤワラちゃんと谷選手の披露宴の様子。司会者がしきりに伝えていたのは、この披露宴が二人の意見が多く取りいれられた「オーダメイド」であり手作りの宴であるということでした。考えてみると、この宴の主役である二人は人が叶えたくても叶える事の出来ない、日本代表になりメダルをとるという夢を実現した、スペシャリストです。既製の枠にはめた人生、生活に自分の身の丈をはめ込んでいく一般の生き方ではなく、自分の夢というオーダーを出しほんの選ばれた人間しか経験できない生き方をしてきて、おそらくこれからもそう生きていく人種です。まさにオーダーメイドの人生を送っている人間なんだと、長島茂雄の危なっかしいスピーチを聞きながらそんなことを考えていました・・・・・・僕自身、これまでどれだけオーダーメイドのモノを経験してきたんだろう・・・そんなことも考えました。基本、仕事も、恋愛も、結婚も、もともとあるものに自分の体を、身の丈をあわせ、多少の窮屈さや、サイズの違いには目をつぶり、生きてきたよう気がしますし、一般的に人はそうして社会に順応していくモノだとも思います。しかし、そういうことを考えているうちに、自分自身、オーダーを世間に対して出し、自分の身の丈に合うように作りこむという作業は人生の中で何度かはしてもいいのではないかと思えてきたのです。人は若い頃に、夢を持って大人になっていくものなのですが、どこかで、社会とはこんなもの、現実はこういうものという妥協の元、規整された幸せに落ち着いていきます。実際にテレビのなかの出演者として活躍する人たちは、その発想から逸脱した人たちなのかも知れません・・・・・彼らは、自分やりたい事という夢、目標の身の丈に、世間を合わせる、オーダーメイドの人生を送っているように思えます。今さらこの年になって、有名人になろうとか、大金持ちになんてことは思いませんが、もう少し自分のやりたい事にたいしてわがままになってもバチは当たらないんじゃないかとそんなことも思えてきたのです。「無理だ」とか「常識じゃない」とか「ありえない」と言う言葉を現実とし、「もしかすると」「だったらいいのに」をどんどん打ち消してしまっているようにも思えます。世間が規整した幸せに袖を通し、すぐにそこに納得するだけが、幸せではないのかもしれません。自分のオーダメイド、自分にしか着る事の出来ない、幸福感ももっていいように思えます。ヤワラちゃんと谷選手の、夢の様な豪華な結婚式も実際に一般人と同じ人間が現実に行なった結婚式です。全く違う次元で行なわれているものではないのです。おそらく、彼らは夢のオーダーメイドのスペシャリストです。とうていあそこまでの存在になる事は無理かもしれません。しかし発想をすこし変えるだけで、自分の夢が、夢ではなく現実のモノになる可能性はあると思います。主婦でありながら、今からCDを出す。会社を立ち上げる。サラリーマンでありながら、本を出版、印税生活を送る・・・・こんなオーダーを出してみても損はないのかと思います。当然、人は無理せず、規整の幸せ、子供がいい大学に行って、いい会社に勤める、ローンを早く払い終わって、子供と大きな一軒家に住む。そんなところが当たり前と思うかもしれません。その幸福の価値観を否定はしませんが、逆にそうでないオーダーメイド、その人にしか持てない幸福感も否定は出来ないと思います。いくつになっても夢は持ちたいものです。これから来年に向け、ひとつ自分がやりたいオーダーを出してみようと思いました。自分にぴったりと来る幸せの形を考えてみようとそういう考えが湧いてきたのです。すこしわがままになってでも、それは大切な事なのかも知れません。今までは一生勉強という言葉で締めくくる事が多かったのですが来年からは、「一生挑戦」この言葉も使っていこうと思います。