バリアフリー
先日、銀縁メガネをかけている同僚を含めた数名で飲みにいったときのこと、話題は何かのきっかけでメガネ談義となりました・・「キスするときはメガネは邪魔にならないの?」「エッチするときはどのタイミングではずすの?」「メガネはずした時とかけているときはどっちが本気?」中学時代、メガネと言えば、「ガリ勉」のイメージ、ヤンチャの僕はいつもメガネをかけている真面目な生徒のメガネを取り上げては、学級会で問題にされ、職員室に呼ばれていたもんでした。勉強嫌いの僕は、目もよく、学生時代からめがねをかけることは一切なかったんで、正直、メガネの人の苦労なんて考えた事もありませんでした。しかし、同僚の銀縁メガネ君とメガネ談義をすることで、たかがメガネひとつで生活がかなり違うということが見えてきたんです。顔を洗っているとき、鏡で自分の顔は見えないとか、朝、目覚まし時計が鳴ったとき、時計より先にメガネに手を伸ばすとか、ラーメンを食べる時も一苦労だとか、スポーツも出来ないものがあって、幼い頃から夢の範囲が限られていたとか・・・・メガネ知らずの僕はなんにもわかってへんかったんです。この話しているとき隣の席のメガネをかけていない同僚は、お酒を一気に飲み干し、こう言いました。「メガネもそうかも知れんけど、僕の左利きっていうのも大変なんやで」最初はピンと来なかったのですが、話を聞くうちに、だんだん自分があほに思えてきました。「そうなんや・・」地下鉄の改札、自動販売機、急須、ものさし、アイロン、世の中の道具は全部右利き用、かなりのストレスがあるということを改めて知らされたんです。僕は36年もの長い間、自分の生活が当たり前と思いながら生きてたんです。確かにメガネにしても左利きにしてもそれをハンディと思っている人はいないので、気にもかけてなかったけど、こんな身近なところにもバリアがあるんや・・・・そこに思いやりをもって接した事ないのに、そら車椅子の人や視覚障害者、聴覚障害者の気持ちはわからんわ・・・相手を思いやる気持ちはほんまにその立場になるか、身近な人にそういう人がおらん限り、見過ごしてしまうもんやと思い知らされたんです。どんな事にしても、その立場にならないと見えないもんはたくさんあると思います。自分の奥さんが妊婦になったとき、初めて世の中にこんなにたくさん妊婦がいた事に気付きましたし、車の免許を取って初めて、50CCのバイクがどれだけ危険かに気付いたものです。半年間人事異動で、ネクタイをする職場を経験した事で、どれだけスーツが夏は大変かを知りました。全てが全て、その人の立場になってモノを考えるのは、おそらく無理に近いと思います。しかし、その立場の人と話をしてみるだけで少しは気持ちがわかる事もあるものです。苦労を知ることは出来ないけど、苦労があるということを知れば、少しは理解し合えるところがあると思います。男と女でもそうかも知れません。バリアフリーとは健常者と障害者との関係のあり方だけではないんやと、本当の意味で、自分の目線が全てと思わない、相手の目線を知るということやとメガネトークをきっかけにそんなことまで考えてしまいました。