メモリー
今日、伊勢へロケの下見に行ってきました。大阪から鳥羽の海に向かって走る車の中で、伊勢というキーワードから様々な思い出が蘇りました。学生時代の恋人と伊勢にサーフィンに向かった日のこと、そのときの彼女の笑顔・・・大学を卒業して会社に入ったとき、伊勢に研修旅行に行った事。そのとき、画家を目指していた女の子に恋をしていた事・・・小学生のとき家族で海水浴に行った事。今の仕事を始めてまだ駆け出しの頃、ロケに行くとき車の運転を任されて、事故を起こしかけて冷や汗をかいたこと・・・伊勢にサーフィンに行くといったきり帰らぬ人となった友人の顔。伊勢と言うテーマで記憶を詮索すると様々なカテゴリーの中から色々な検索結果が出てきます。出てきた記憶をクリックすると、そのときの自分の周辺の様々なテーマがまた呼び出されます。そこをクリックすると、そこには忘れていた深い記憶が隠されています。日常、何も考えずに毎日を過ごしている自分の中には、実はこんなにも記憶が存在していた事に改めて気付きます。ふとしたキーワードから、全く深いところにしまいこまれた記憶が蘇るのです。もし学生時代の彼女が、伊勢に行く事があったら、僕と同じようにサーフィンに行った事を思い出してくれるのか、そんなことを考えました。それが恋愛であろうと友情であろうと、自分の記憶に残っているシーンはその経験をともにした相手には覚えていて欲しいものです。日常を生きると言うことはたいへんだから、きっとそんなに頻繁には思い出さないだろうけど、せめてその場所に訪れたとき、そのキキーワードが頭に浮かんだときだけでも、僕のことを思い出してくれたら・・・・人と人が出会って、そこからずっと同じ道を歩く人はほんの数名しかいません。だからと言ってその人たちだけが自分にとって特別では無いと思います。たまたま、同じ道を進む仲間は今も進行形で毎日顔をあわせますが、それは単なる偶然。違う道を進み、今はたまに記憶の中でしか会えないという人と、「自分と関わりあった」というくくりの中では並列だとも思えます。現在、毎日会っている人より、むしろ過去に会っていたけど今は会う事のない人のほうが、自分にとって影響を与えていると言う場合が多いものです。しかし悲しいかな人の記憶と言うものは今、現在を生きていくために必要なモノが優先され、もう既に自分には影響を与え終わり役目が終わったモノは深いところへと押し込んでしまうというようにできています。今と過去、起こった経験は新しい古いと重い軽いはまた別です。鮮明に残っているからいい思い出と言うわけでもありません。もしかすると、今すっかりと忘れている深い記憶の中に、素晴らしい記憶が残っているかも知れないのです。明日、出会う人との明日という日に起こるかも知れない出来事が、10年後、懐かしい思い出としてメモリーされる素晴らしい出来事かも知れない。そう考えると、明日が少し楽しみになります。好きな人の記憶になりたい。そして好きな人を自分の記憶に残したい。言葉、触れ合い、聞く音楽、見る景色、一つ一つが大切なメモリーです。いつか呼び起こされ、素敵な気持になれるように、自分が今、大切に思う人と記憶の共有をしっかりとしていきたい。車窓から見える海岸線の景色を見ながらずっとそんなことを考えていました。