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テーマ:本日の1冊(3692)
カテゴリ:本・読書
『されどわれらが日々――』
柴田翔 文藝春秋新社 印刷:凸版印刷 製本:大口製本 1964年8月10日 初版 1964年9月15日 三版 定価 340円 1964年(昭和39年)上半期の芥川賞受賞作。所謂六全協後の学生たちの青春と挫折を描いたもの。団塊の世代を中心に、二十歳前後には必ず遭遇する小説であったが、今は殆ど忘れられている。芥川賞受賞当時は大江健三郎の再来と言われた人でしたが、作家活動より大学教授の道に進んだようです。東大の文学部長をつとめ名誉教授になり、1999-2007まで太宰治賞の選考委員、それ以降は不明。 ここに書かれている事柄(気分・空気も)は70年安保を学生時代に過ごした自分には実際の出来事として迫ってきた。登場人物たちの語る、観念的なもの、具体的なもの、それらが混然一体となり物語は形成される。ただ、それだけならばよくある、で片付けられるが、小説の構成が上手い。初めに主人公(大橋文夫)が古書店でH全集を見つけ、買うところから、その蔵書印が婚約者佐伯節子の借りた本の蔵書印と同じという偶然(?)。その偶然が必然(=宿命)となる。 【何故あのH全集の一冊におされた蔵書印が、あれほど気になったか、そして、それが佐野さんの蔵書印であったと知ったあと、佐野さんの消息を知ることに、何故あれほどこだわったか、今では自分にも不思議に思われます。(中略)偶然と見える無数の事柄が重なって、その動作が行われたにせよ、その動作が起きないということは決してありえなかったという意味で、それは宿命であったし・・・】(節子が文夫に宛てた手紙)p192 ※その動作とは、蔵書印を見つけてしまうことになるH全集を手にしたこと。 言葉づかいは当時の学生たちの口からのように回りくどい。だが、それも含めて時代を現わしていると思う。 何気なく、手に取り最後まで読んでしまった。40年以上前に読んだはずだが、当時この考えには至らなかった。 蛇足1:節子が文夫に宛てた手紙の最後・・・【さよなら、文夫さん。(中略)文夫さん。この手紙を、私の別れを、私を、判って下さい。今こそよく判ります。あなたは私の青春でした。どんなに苦しくとざされた日々であっても、あなたが私の青春でした。】p210 松任谷由美(荒井由美)の『卒業写真』の歌詞に見事に重なる。曰く「あなたは私の 青春そのもの・・・」 蛇足2:その時の他の芥川賞候補は、「那覇の木馬(五代夏夫)「影絵(小牧永典)」「素晴らしい空(佐江衆一)」「風葬(坂口澪子)」の「澪」が正しくはコロモ偏「薪能(立原正秋)」「青の儀式」(長谷川敬)」「どくだみ(三好三千子)」「愛のごとく(山川方夫)」の八作品。ボクが名前のみでも知っているのは佐江衆一、立原正秋、山川方夫の三人のみ。 これにはもう一篇『ロクタル管の話』が入っている。これは芥川賞候補になっている。手製ラジオに夢中の中学生の話。真空管の専門的な部分は分からないが、あることに一所懸命な中学生の気持ちは誰も同じだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.09.19 08:44:11
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