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Nov 29, 2008
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カテゴリ:お出かけ
信州小諸にある懐古園、その紅葉が綺麗だと聞いて、先日行って参りました。

小諸は、浅間山の麓の歴史とロマンに満ちた街。
新幹線の停車駅がないため、ちょっと不便ではありますが、逆にあまり急激な開発が進まなかったお陰で、今でものどかでとても趣があります。

歴史好きの私は、ただ紅葉を見るだけでなく、その場所に秘められた歴史やロマンに思いを馳せずにはいられません(笑)。
そんな訳で、今日は小諸・懐古園の紅葉をご紹介しながら、歴史やロマンの世界をちょっと散策してみましょう。

懐古園とは、小諸の駅近くにある旧小諸城址のことです。
小諸城の創建は、平安時代から鎌倉時代にかけてと言われ、その後武田信玄が山本勘助と馬場美濃守信房に命じて築城したのが、現在の小諸城址とのことで、別名「酔月城」とも呼ばれています。

江戸時代になると、ここは松平氏の居城となり、その後は牧野氏が10代にわたり城主となりました。
懐古園の名前は、明治4年の廃藩置県の後、ここに神社を祀った時から、こう呼ばれるようになったそうです。

その入り口にあるこのりっぱな門は、三の門と言って、元和元年(1615年)の創建。
後に大洪水で流失したため、明和二年(1765年)に再建されました。
いかにも重厚なつくりですね。

小諸・懐古園1
小諸・懐古園1 posted by (C)Nao


その三の門を入ると、すぐに先にあるのが二の丸跡。
ここには、昔、白鶴城と言う城があったのだそうです。

戦国時代末期、家康の軍勢である徳川秀忠が、ここで上田の真田父子に20日あまりも進路を阻まれ、関が原の合戦に間に合わなくて、家康にひどく叱られたという逸話が残っている場所でもあります。

いかにこの小諸城が、堅固な城だったかということがわかりますよね。

小諸・懐古園2
小諸・懐古園2 posted by (C)Nao


ところでこの小諸城は、全国的にも珍しい、城下町よりも低い穴城だと言うことです。
浅間山の火山灰で出来ているため、水を用いず、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっているんだそうです。

小諸・懐古園3
小諸・懐古園3 posted by (C)Nao


城跡の奥へ行ってみると、確かにその断崖の先は、千曲川となっていて、この城が自然の地形をうまく利用しているのがわかります。
城内には、地獄谷という谷に近い堀もあるくらい、変化に富んだ地形でした。

小諸・懐古園4
小諸・懐古園4 posted by (C)Nao


小諸城には、もともと3層の天守閣が合ったそうですが、寛永3年(1626年)に落雷による消失、以降再建されることはなかったそうです。
それも徳川幕府の意向だったようです。

小諸・懐古園11
小諸・懐古園11 posted by (C)Nao


次に本丸ですが、珍しい自然石で積んだ石垣が特徴で、まるい石をうまく組み合わせて、見事な石垣になっています。
現在は、この場所に懐古神社があり、その周りは池などが配置されていて、とても落ちたついた場所となっています。

小諸・懐古園10
小諸・懐古園10 posted by (C)Nao


懐古神社の隣りには、休憩所などもあって、そこでは信州そばなども食べられるようでした。
そこにあった黄色く色づいた木の葉が、青空に映えてとても綺麗でした。

小諸・懐古園9
小諸・懐古園9 posted by (C)Nao


本丸には、この懐古園の記念碑が建てられていますが、その題字は勝海舟の筆によるものだそうです。
園内には、他にも多くの文人・歌人の石碑があるので、捜してみるのもいいかもですね(笑)。

小諸・懐古園8
小諸・懐古園8 posted by (C)Nao


城内には多くの木々草花が植えられ、四季を通じて素晴らしい景色が楽しめるようです。
中でも、春の桜と秋の紅葉の時期は、特に素晴らしいようです。

小諸・懐古園5
小諸・懐古園5 posted by (C)Nao


ところでこの懐古園には、藤村記念館が併設されてます。
その名前からもわかるとおり、この記念館は、小諸で人生の一時期を過ごした、あの文豪島崎藤村を記念して建てられたものです。

小諸・懐古園6
小諸・懐古園6 posted by (C)Nao


記念館には、藤村と小諸のつながりを説明した表示や、ゆかりの品が数多く展示されています。
「千曲川のスケッチ」、「破壊」といった藤村の代表作の初版本や、小諸在住時代に彼の愛用した品の数々、今では貴重なものが数多く展示されていました。

小諸・懐古園7
小諸・懐古園7 posted by (C)Nao


藤村は、明治32年(1899年)に、当時この地に開設されたばかりの私設塾「小諸義塾」に、英語と国語の教師として招かれてやってきました。

その後この地で結婚し3女をもうけ、明治38年に上京するまでの7年間に、「雲」、「千曲川のスケッチ」、「旧主人」などの作品を生み出しました。

藤村と言うと、私はこの詩を思い出しますが、これを書いたのもそんな頃だったのでしょうか。

 初恋

  まだあげそめし前髪の りんごのもとに見えしとき
 
  まえにさしたる花ぐしの 花ある君を思いけり 


綺麗な紅葉の中、歴史と文学とロマンを感じさせてくれるそんな懐古園の散策でした。

小諸・懐古園12
小諸・懐古園12 posted by (C)Nao






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Last updated  Nov 29, 2008 08:13:11 PM
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