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テーマ:香港!!!!(945)
カテゴリ:香港を歩く
香港在住時代に行った印象深い場所を、写真と共にご紹介していきたいと思います。
シリーズ第一回目は、九龍サイドの九龍城地区にある「九龍寨城公園」です。 九龍寨城公園1 posted by (C)Nao 香港の植民地時代に、英国と清朝(中国)の対立から生まれた特異なエリアで、「無法地帯」・「東洋の魔窟」などと言われた「九龍寨城(九龍城砦)」ですが、10年ほど前に綺麗な公園に整備され、今ではそうした面影はありません。 九龍寨城公園2 posted by (C)Nao そんな江南様式の素晴らしい公園を散策しながら、当時を偲んでみましょう。 九龍寨城公園3 posted by (C)Nao それしにても、どうしてそんな場所が香港にできてしまったのか? 興味が沸いて調べてみると、それは19世紀末に英国が香港を租借し始めた時期に遡ります。 九龍寨城公園4 posted by (C)Nao 当時、英国は中国(清朝)から、香港島や九龍、隣接する新界などを99年間の期限付きで租借していました。 しかし、この九龍寨城(九龍城砦)だけは、条約の中で例外として租借地から除外され、清の役人が駐在する飛び地となっていました。 九龍城砦 posted by (C)Nao その後、英国は圧力でここから清の役人を追放してしまいますが、条約違反となるため、英国もこの九龍寨城(九龍城砦)を管理することはできませんでした。 やがて、中国大陸が中国国民党率いる中華民国となると、ここは事実上どこの国の管理も及ばない地帯となってしまったのです。 九龍寨城公園5 posted by (C)Nao 第二次世界大戦が勃発し、日本軍による香港占領時代になると、近隣の啓徳空港の拡張工事の材料として城壁が取り壊されます。 そして、その後の中国内戦を契機に、香港政庁の力が及ばないこの場所には、中国大陸から大量の難民が流入し、バラック小屋を立てて住み着き、その後スラム街として肥大化していきました。 九龍寨城公園6 posted by (C)Nao 1960年代以降になると、大火などもあって高層RC構造の建物に建て替わりますが、無秩序な増築による複雑な構造と、どの国の主権も及ばないこの場所は、「東洋の魔窟」と呼ばれるようになり、ピーク時には100メートル×200メートルほどのこの敷地に暮らす人は、3万3千人にもなっていたそうです。 Kowloon Walled City posted by (C)Nao そして香港の警察も立ち入れないことから、次第にここは無法地帯と化していき、麻薬の横行、賭博、売春などの違法行為が行われ、「九龍寨城には一回入ると出てこられない」とも言われていたようです。 九龍寨城公園7 posted by (C)Nao 海賊版の出版物の出版、コピー商品の製造、麻薬の取り引きなども行われ、また衛生法許可を得られないような中華料理の点心製造なども行われ、その安さから、当時の多くのレストランやホテルなどへ出荷されていたようです。 九龍寨城公園8 posted by (C)Nao しかし1984年の中英共同声明により、香港の中国への返還が確定すると、ついに香港政庁は九龍寨城を取り壊し、住民を強制移住させることを決定します。 九龍寨城公園14 posted by (C)Nao こうして、1994年に長い歴史を持つ九龍寨城は取り壊され、その跡地には再開発により、この九龍寨城公園 (Kowloon Walled City Park) が造成されたのです。 九龍寨城公園9 posted by (C)Nao ところで、こうしてみると、九龍寨城は恐ろしいだけの場所のように思えますが、そこにも普通に暮らす人たちがいて、そうした住民たちは自警団を作って、内部の治安を維持しようとしていたようです。 そこには、貧しい庶民が助け合って暮らす昔ながらの共同生活空間があったのです。 九龍寨城公園10 posted by (C)Nao この公園整備の時に出てきた当時の大砲、石造の表札などは、大切な文化遺産として、この公園の一角や記念館に保管されていて、当時の多くの写真と共に、その歴史を語りかけてくれました。 九龍寨城公園11 posted by (C)Nao また、残っていた南門の基礎部分は、当時の様子を伝える貴重な遺産として、そのままの状態で保存されています。 九龍寨城公園12 posted by (C)Nao さて、ちょっとミステリアスな歴史を持つ九龍寨城の散策は、いかがでしたか? もし九龍寨城の歴史に興味が沸いたなら、訪港の折にちょっと足を延ばしてみてはいかがでしょうか。 九龍寨城公園13 posted by (C)Nao お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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