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カテゴリ:お出かけ
少し前のことになりますが、信州にある「あじさい寺」のひとつ、伊那の「深妙寺」へ行ってきました。
「あじさい寺」と呼ばれるお寺は全国各地にあるようで、鎌倉の「明月院」、京都の「丹州観音寺」などが有名のようですね。 長野県にもあじさい寺はいくつかありますが、中でもこちら深妙寺は最大規模で、170種2500株ものあじさいが咲き誇り、この時期には県内外から1万5千人ほどの人が訪れているようです。 紫陽花3 posted by (C)Nao 今回は、その深妙寺に咲いていた美しいあじさいの花々をご紹介しながら、お寺に伝わる興味深いお話などについて触れてみたいと思います。 深妙寺は、今から700年ほど前の鎌倉時代(1299年)に開祖され、1600年に現在の地に移転したとされています。 紫陽花6 posted by (C)Nao お寺の本堂から裏山にはあじさいが咲き誇り、その散策道に沿って33体の観音さまの石像が建立されています。 これは、観音さまが33種に身を変えて、人々をお救いになるということにちなんでいるそうですが、一面に咲くあじさいの花と観音様の競演は見事でした。 紫陽花1 posted by (C)Nao またこのお寺は、「石臼のお寺」としても知られているようです。 2000個もの石臼が敷き詰めらられた庭園は圧巻で、我が国で「最大規模の石臼寺」と言われているそう。 この石臼は、江戸時代より本堂前を中心に並べられるようになったのだそうですが、当時から長野県南部の寺社には、全国各地から使えなくなった石臼を奉納されるようになったようです。 石臼は穀物を擦りつぶすことから、煩悩を消滅してくれると信じられているそうです。 深妙寺2 posted by (C)Nao またこのお寺は、別名「すずむし寺」の異名もとり、境内にある「長姫堂」と言うお堂には、これにちなんだお話が残っているそうです。 文政12年、京都の公家の姫君である長姫(おさひめ)様が、7歳で東国に向かわれました。 しかし病弱なお姫様は、旅の途中、ここ伊那の地で亡くなられました。 紫陽花5 posted by (C)Nao 姫と旅を共にしていた乳母は「お蝶」と言い、歳は24才でした。 お蝶は姫の供養のため、日夜観音経を読まれましたが、「姫あってのお蝶」と思い詰め、自ら命を絶ってしまったそうです。 紫陽花4 posted by (C)Nao そのおふたりの御霊をおまつりしているのが、長姫堂なのだそうです。 お姫様が旅の慰めに携えた鈴虫の音が、今もこのお寺の周りで聴かれるということです。 境内の石碑には、この言い伝えの説明文とともに、こんな歌が刻まれていました。 「かなであふ 姫が形見の 鈴虫(むし)の音は お蝶の歌と 人の聞くらん」 紫陽花2 posted by (C)Nao お寺には長姫堂の他にも、特徴的な建物として「鬼子母神堂」があり、子授け・安産・子育ての神様として広く信仰されています。 鬼子母は子どもを捕ることを生業としましたが、我が子をお釈迦様に隠されて改心し、以後子どもの守り神となったのですね。 紫陽花7 posted by (C)Nao ここ深妙寺は、咲き競うあじさいの花の素晴らしさと興味深い歴史や逸話のあるお寺でした。 例年、あじさいは6月下旬から咲き始め、7月1日から3週間ほど「あじさいまつり」が催されにぎわうようです。 深妙寺1 posted by (C)Nao にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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