半年前の講演会のこと
今までに、いろいろな研修会や、講習会、勉強会・・・という名のつくものにはたくさん参加する機会がありました。仕事で義務的に受けることもあったり、偶然、子供の役員としての人数集めの出席だったり、自分の意思でなく、義務だったり、今まではそういう理由からの参加でした。感動して、涙ぐむ人もいれば、ウトウトと居眠りをしている方もいました。最初は、申し込みをしていなかったけれど、違う気持ちで、拝聴できそうだと思って途中からでしたけど『又野亜希子さん』の講演会へ、行ってきました。「皆さんの中で、この障害を、ご存知の方は、いらっしゃいますか?」手を挙げられない私。もう、 じゅうぶん、知っているお話。リハビリの過程も努力も、そのたくさんの涙も、その侮辱的だった気持ちと、どんなふうにして死のうか考えていた夜の話。毎日、夜が、一番、つらかったこと。安定剤や、酔眠薬が手放せなかったこと。こんな身体なら、死んだほうがマシだ!と思っていたこと。周りの人に、これ以上、迷惑をかけているなら、生きてる価値がないと思っていたこと。毎日眠れなかったこと。身体の痛みや痺れががつらくて、絶えられなかったこと。今も、その痛み痺れは、続いているけれど、一緒に共存して過ごせている事。現在は、社会へ出て、姿を見せることが、役目です。というお話。子育てしながらも、当たり前のことが、できない事、いっぱいあるけれど、それが悔しくて何度も泣いたこともあったというお話。車椅子で障害があるからとそれに甘えずに当たり前に過ごさず感謝しようと言う気持ち。何かをこうして、皆さんに、伝えたいという気持ち。それは、誰もが、できることではないし、うまく伝えることもできない・・・ですね。伝えたいことが、伝えられない・・・・(それは、私なのですが)亜希子さんには、小学校、中学校、高校へ訪問して命の大切さを、これからも、たくさんの方に、伝えて欲しいと、心から思いました。亜希子さん、とても、輝いていました。眩しいくらいに輝いてきれいでした。たくさんおしゃれもしたいと、おっしゃっていました。事故から 約6年が経過し、まだまだ、たくさんの苦労もあることでしょう。母親として、奇跡的にお子様を授かり、お子様も元気にすくすくと育ち愛がいっ~ぱいでした。光栄なことに、お子様のお誕生日は、偶然、私と同じだったのでしたっ。終わりの言葉の感想も、深~く心に残りました。私も今から、何年前だったでしょう(?)に、同じような車椅子のリハビリ経験者の方たちが、たくさんメールで教えてくださった言葉を頼りに「必ず、大丈夫だから!」と、たくさん励ましてくださいました。事故の当時(直後)に、6年前に事故をしたという男性の方が、講演会などをしているので、参考に・・・と、原稿のあらすじを、メールして下さいました。その時は、あまりにも、壮絶なお話に、私は、想像以上に驚き、でも希望を持ちたい、夢を捨てずに生きていこうよ!本人(弟)にも読ませてしまったことを今でも後悔しています。まだ、その時は、早すぎだったのかも。講演のお話中、現在の私は、ちょうど、3年目が経過したあたりの、渦中の中なのだから、「そうか、あと2年もしたら。。。」そんなことを、まだ考えてしまって (x_x;)遅れて、入場して、先に、退場。実は、その場を逃げて帰って来てしまいました。まだ、その時点では本も読む気持ちにはなれませんでした。直接会って、お話する勇気もでなかった。半年たって、ようやく、最近、その本を、手にとってみました。事細かく、メールのやり取りなども記録として残っていました。写真とかも・・・写真をとっているような気持ちは私にはぜんぜんなかったです。入院中の写真は一枚もないのですよ。再び、お話を聞く機会があったら、ぜひ握手させていただいて、お話をして帰りたいと思っています。「良いお話を聞いてきたよ」というお友達に会ったり感想を聞いたりもしました。たくさんの方々の様々な感想は、学校の新聞や市報などにも紹介されて、それを読み、こうして少しでも理解が深まっていって欲しいなあというのが私の感想です。