たかが、されどのPTA
2月は「逃げる」というように、本当に日々作業に追われて過ぎました。なんで忙しかったのか、というと年度替わりの土曜学校の次年度準備や、幼稚園で子どもたちにテーブル人形劇を公演したり、その間に小学校PTAの役員会(一応名ばかりの副会長…)、運営委員会、委員総会もありました。PTAは今年度も残すところは卒業式のお手伝いと会計監査、というところですが、今年度私は卒業生がいるし、会計でもないので、あとは若干の作業のみ。PTAはやはり役員1年目にした会計がとても大変かつ勉強になりました。予算案作成、決算書作成、最初は数字の意味するところも費目もまったくわからなかった私が、帳簿をつけ、1年間会計に携わる中で、なんと「会計、面白いじゃん!」と思えました。だけど、実は家計簿って大事なのかもね~。本当は、家計を預かるものは予算案作成して稼ぎ手である夫に「今年度はこんな感じで行こうと思いますが、よろしいでしょうか~?」って承認もらわんと家計なんて預かれないっていう話よね!?予算案どころか、決算もせず、通帳も見せず(笑)家計を回しているおおざっぱな私に任せきりのおおざっぱな夫・・・。あはは。それはさておき、会計後の2年間副会長をしましたが、これは担当副会長に頼りっぱなしで、私にしては珍しく(!?)名ばかりで・・・(苦笑)ま、大御所集うPTAのOB会担当、という役での2年間でした。同居しているから、年配の方のお相手は得意なのでした。ほ~ら、なんでも、役に立つじゃん!でも、PTAや公立小学校も捨てたもんじゃないなぁ~!と思えたのは、本当にPTA役員を3年間務めた中での実感でした。最後の運営委員会や委員総会での委員さんの一言挨拶では、感動さえ覚えました。最初はなかなか引きうけ手もなく、最終的にくじ引きなどで各委員や委員長が決まった中、その後の仕事に対しての姿勢が「ただ前年度通りのことを全うする」ということではなくとてもクリエイティブな姿勢を持ち、工夫して楽しんで取り組む方が多かったのです。たかがPTA、されどPTA。正直、自分が子どもの頃は、“ちょっと暇のあるお母さん”が好きでしてるんだろう、という勝手なイメージがあったのだけど、いざ自分が親となりPTA役員となった時、その妥協しない仕事の姿勢に衝撃を受け、なんと口にヘルペスが出来ました当時末っ子はまだおっぱいを飲んでいましたが、託児システムの導入に伴い、会議や行事時には託児を利用してのPTA活動でした。託児してまでPTAが、よいか悪いか、という議論はさておき、なぜPTA活動や参観懇談時に託児に取り入れるか、PTA役員としてどう活動を改善、発展させていくか、ということに対して、ボランティアでも本気で取り組んでいる才能あふれる母親が公立小学校にいるんだ、ということに衝撃を受け、私も多くを学びました。手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。でも、一人が手を抜いたら、活動全体がなぁなぁになっていく、という意識で仕事をしながらPTA役員をする、ということが本当に日々の学校行事を支えている・・・そのことは「当たり前」ではなくて、「有り難い」ことなんだ、と思えました。来年度は会計監査なので、1日だけのお仕事。ただ、幼稚園の役員をもう一度やるかな、と思っています。そして、きっとその次は中学校PTAデビューさせられるんだろうな、姑に実家はじめ私のルーツは革命家肌でしたが、嫁ぎ先は大将肌とでもいいましょうか…ドンと人をまとめていく役=大将、ということに対し、非常に応援してくれるのですね(苦笑)ぺーぺーじゃダメって私の役員デビューは、舅がきっかけ。幼稚園の入園間もなく、懇談会に出かける前の私に舅が言った言葉。「今日は役員を決めるはずだから、手を挙げて来い。 子どもは預かってあげるから!」はぁ~?と思いながらよくわかっていない私は、懇談会の自己紹介時にまだ役決めにも入る前に、「今日は~と舅に言われてきました。」と実質立候補宣言のような自己紹介をしてしまいました。(はずかし~)でも、そんな舅や姑に感謝しています。社会経験もない私が、専業主婦という立場の中で周りの人と関わり、成長できる環境は、自分で見つけていかなくてはお金かけずに学ばせてもらえる場って、世の中にはたくさんあるんだなぁ、と感謝して諸々首をつっこんでいこうと思います。