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カテゴリ:平和ー祈りー
楽しい旅日記が続いていますが ちょっと違った角度からの長崎を…
長崎はいろんな意味で歴史に深く関わっている街だと思います… 観光客としてではなく 違った視点で、この有名な眼鏡橋を見つめていました。 日本最古のアーチ型石橋と言われ 寛永11年(1634)に造られた国の重要文化財。 名前の由来は、川面に映った橋と一緒にみると眼鏡に見えるからだとか 修学旅行生かな?記念写真を撮ってました。 私も降りてみました。 雨が降っていて、ちょっと残念でしたが 川の中には沢山のコイも泳いでいて お天気良ければキレイだろうな…なんて
そう言えば… 別の筋の川ですが、お天気の良い日に魚が群れで泳いでいました。 何の魚かわかりませんが、それだけ水がキレイなのですね! このあたりは、昔ながらの橋が多く残っていました。 近代的なビルの谷間に、昔ながらの風情漂う空間です。
実は…この場所、初めて訪れる場所なのですが 私の遠い記憶の中に印象深く残っている場所です。
現在も長崎被爆者の語り部として 活動しておられる下平作江さんが アメリカへの核廃絶の要請運動をされている時に 同行させていただいた事があります。 ずいぶん昔の話しです…
このブログの中ではほとんど書いていませんが 若い頃はいろんな活動をしていました。 (その時、体験した数々のことはとても衝撃的でした。いろんな意味で)
その時の何気ないの会話の中で「眼鏡橋」が何度か出てきて なぜかその言葉が、記憶の中にずっと残っていました。
ご存知の方もおられると思いますが 実はこのあたりが原爆投下の本当の目標地点でした。
眼鏡橋の2つ隣の常盤橋が目標だったようです。 当時、上空に雲がかかり目視出来なかったため 3キロ離れた浦上の近く松山町に落とされたそうです。 このあたりは被害は出ましたが 爆風で全壊することはなかったようです。
「当時から文化産業の中心地で人口の密集したこのあたりに 原爆が落とされていたら、もっと酷い被害が出ていたと思う… 眼鏡橋も大浦天主堂もグラバー園も現存していないだろう」 今回、長崎で知りあった方がそう語ってくれました。
「広島は原爆への怒り。長崎は平和への祈りだ。」
原爆の象徴として残っている、当時のままの広島の原爆ドーム 長崎で壊滅的被害にあった浦上天主堂は建て替えられた… 「浦上天主堂がそのまま残されていれば 広島以上に世界にメッセージを発信できただろう」
アジア最大規模と言われていたキリスト教会の一つ、浦上天主堂 原爆投下を正当化したい米国 日本初の米国との姉妹都市となった長崎 ・・・ そこには米国の思惑や政治的意図やいろんなものが絡み合っている。
もの言わぬこの風景の中から、いろんな事を感じ… いろんな想いがこみ上げてきました。
原爆の恐ろしさと戦争の虚しさ、人類の愚かさ そして現在の原子力発電の問題や現代に生きる自分達の事
私は原発反対です。そして被爆国である日本の矛盾も感じています。 核弾頭を落とされなくとも、原発に1発打ち込まれれば終わり。 福島のような自然災害が起きれば被害は止められない。 特に、地震国日本ではどこでも同じ事が起こる可能性がある。
では…どうすればよいか 代替エネルギーの問題、経済的政治的問題… 何よりも、これだけ便利な生活に慣れすぎた人類が 今の生活をどれだけ変えていけるのか?!
掘り下げていけば何日かかるかわからない議論です。 そして… 考えれば矛盾だらけの現実社会と無力感にいき当たります。
人が生きていく上で必要なものは もっとシンプルで、もっと自然と調和していくものではないか… 物質的な豊かさも大事だけれど 心の豊さはもっと大切なものではないか…
そんな想いが10年後の私の夢に繋がっています。
核兵器廃絶や戦争反対と訴え続ける事 心の闇が起こすイジメや犯罪、悲しみ憎しみをなくしていく事 私の中では=イコールなのです。 賛否両論。皆様いろんなご意見をお持ちだと思います。 立場違えば逆の視点もアリ!それでいいと思います。 隣橋からのぞき込んで眼鏡橋を見つめ… 封印している想いが溢れ出す そんな不思議な空気をもつ長崎の街 今回は難しい話題になりましたが いよいよ次回長崎最終回ですヾ(^▽^)ノ…たぶん(笑)
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