また一つ、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
机にうつ伏せになっていた貴王はその音で目を覚まし、重たい瞼を少し開くとそれをゴシゴシと手首で拭った。虚ろな顔のまま後ろの席を振り返ると、貴王の親友である久珂颯太郎が教科書を閉じて溜息を吐いている。
「ん?なんや颯ちゃん、元気あらへんなぁ」
「はぁ…別に…、ちょっと疲れただけだよ。お前はずーっと寝てたから分からないだろうけど、あの先生ひたすら黒板に書いていくからノート取るのも必死なんだぞ」
「ははっ、颯ちゃんはホンマに真面目やなぁ。ちょっとくらいサボったらええのに」
「お前はサボりすぎなんだよっ」
授業が終わり、少しずつざわついてゆく教室の真ん中で、颯太郎と貴王はいつものように他愛のない会話を繰り広げる。そんな中、貴王は颯太郎のノートを当然のように横取り、会話をしながら器用にもさらさらと書き写していた。
「助かるわぁ、いつもありがとうな」
「少しは自分ですることも覚えろ」
「いてっ」
先程閉じた教科書の端で、颯太郎は遠慮なく貴王の頭を小突いた。「颯ちゃん酷いわぁ」などと涙目で訴える貴王の言葉など無視して、教科書を鞄に仕舞ったりペンケースに筆記具を片付けたりしていく。
「ってゆーか颯ちゃん、あの番組見てへんなんてホンマおもろないわぁ」
「お前はそんなのばっかり見てるから…少しはニュースでも見て社会勉強でもしたらどうだ?」
「ま、颯ちゃんっ、“性教育”番組を見るんも立派な社会勉強なんやで?」
「なっ、犬ッ!!!」
クラスメイトが大勢いる教室で、貴王は不躾に―――いわゆる猥談というものを口にしようとする。“性教育”の部分だけやけに強調して。そんなデリカシーの欠片もない発言に、流石の颯太郎も声を上げてしまった。颯太郎はこういう話になるとすぐに混乱し、かぁぁと頬を染める。まぁ、そんな彼が我が友ながら可愛らしいと思うのだが。
颯太郎がこの手の話にめっきり疎いという訳ではない。差し詰め人目が気になる、といったところであろう。現に、二人きりの時はこういった話にも付き合ってくれる。もちろんその時も基本的には貴王の方から持ちかけ、話を聞いてやるのが颯太郎の役なのだが。
「颯ちゃん、声でかいって。んもぉ、ウブなんだ・か・ら」
「犬っ…、ここ教室…」
「オレらみたいな年頃の男の子は、み~んなこんな話で持ち切りなんやで。颯ちゃんがお堅すぎるだけ」
しかし、この程度の話で頬を染めてしまう颯太郎は、一体どんな夜の生活をしているのだろう、と些か疑問に感じてしまう。
仮にも彼には大っ好きなお相手がいて、しかもそのお相手と一つ屋根の下で暮らしているというのに――――颯太郎だって男なのだから、湧き上がる性欲をその相手にぶつけたって可笑しくはない。
貴王は不思議に思うと同時に、二人の私生活に興味を抱いた。実は今までにも何度か聞こうと試みたのだが、いつも軽くはぐらかされてしまうのだから仕方がない。
(今日こそはそこんとこしっかりつきとめへんとな…)
コトン、と手に持っていたシャーペンをノートの隅に置くと、貴王はニヤリと口端を上げて颯太郎を見上げた。
そんな貴王の視線に嫌な予感を感じ、颯太郎は眉間に皺を寄せ、口許をひくつかせる。
警戒して構えてしまう友人を前に、くっと笑ってしまうのを我慢しつつ、どう引き出そうかと考える…のだが、生憎貴王は『直球』という術しか持ち合わせていない。それではいつものようにはぐらかされるのがオチだが、しつこく聞けばぽろりと出てくる答えもあるかも知れないと期待した。普段の彼との会話から、颯太郎は“そういう”性格だということを知っているから――――
「なぁ、颯ちゃん」
「な、なんだよ」
「や~、颯ちゃんは家でいっつもハルさんと何やってんのかなぁって思って。ほら、やっぱり夜とか一緒の布団で寝てたりするんやろ?こう、ムラムラ~っとしてきたりとか…」
「―――いッ!!!?」
(あ、れ?)
いつもと反応が、違う。いつもなら、「何馬鹿なこと言ってるんだ」とか「そんなこと答える必要ないだろ」とか、そんな冷たい反応が返ってくるはず。なのに今日の颯太郎は、先程から染めていた頬を更に赤く染め上げた。頬だけだったのが飛火して、今では耳まで真っ赤である。
それには貴王も驚き、黙り込んでしまった。そして、一つの答えに辿り着いた。
(あ~颯ちゃんとハルさんって意外と…)
「久~珂~くんっ」
その時、タイミングがいいのか悪いのか、後ろからテンションの高い明るい声が聴こえた。
「か、神谷…」
「あれ?久珂くん、顔が赤いよ?どうかした?」
「いいいいやっ、何でもないんだっ。それより神谷っ、どうかした?」
「あ、うん。久珂くんにお客様だよ」
皐月が指し示す方向に目をやると、たった今話題に上がっていた人物が扉の前で颯太郎に手を振っていた。
「わぁ、噂をすれば」
「―――ハルさんっ!」
先程まで困ったように視線を泳がせていた颯太郎の顔が、みるみるうちにぱぁっと綻ぶ。
“ハルさん”と呼ばれた青年――八重咲はると視線を通わせると、颯太郎はガタンと音を立てて席を立ち、扉の向こうにいる彼の元へと急ぎ足で向かった。
(ちょお、分かりやすすぎやわ、颯ちゃん…)
はるの元へ辿り着いた颯太郎は、また頬を染めて、今度はふわりと微笑んだ。なんて優しい、柔らかい笑みだろうか。
貴王は、颯太郎のこの表情を見ているのが昔から好きだった。はるの話をする颯太郎は、いつもこうやって柔らかくそして少し照れたような顔で笑う。本当に毎日のように彼の話をするので、普通ならもういい加減にしてくれとなっても可笑しくはないのだが、貴王は不思議とそう感じることはなかった。むしろ、はるの話をする颯太郎が凄く好きだ、と感じていたのだ。
特に、ここ最近ますますその笑顔に磨きがかかったような気がする。「楽しそう」にプラスされて「幸せそう」な微笑みだと、そんな風に感じさせてくれる。それを見て、貴王は心から彼の幸せを祝福したいと思っていた。
けれど―――
「犬塚くん…?」
貴王と同じように幸せそうな二人を見つめていた皐月が、ふと声を掛けてきた。
「ちょっと寂しい?」
「……皐月ちゃんには全部お見通しかぁ」
自分は颯太郎のことに関しては誰よりも知っているつもりだ。この学園に入学して以来ずっと彼と同じクラスで彼を見てきたのだから。友人として…親友として、貴王はずっと颯太郎の隣にいて、彼を理解し、時には支え、時には颯太郎という存在に支えられたりもしてきた。
だから、もちろん少し寂しい気持ちがないといえば嘘になる。自分が、颯太郎を笑顔にしてやりたいという想いも確かにあったのだから…
「犬塚くんも、久珂くんのこと…?」
「ぷっ」
「ちょ、何で笑うのよ!」
「だって、皐月ちゃんがおもろいこと言うから。オレは女の子大好き~な男やで?」
「……犬塚くん」
「でも……せやなぁ、颯ちゃんがもし女の子やったら、好きになってたかも知らんけどな」
貴王は冗談交じりに、しかし少し真剣な面持ちでそう言うと、隣で表情に疑問の色を浮かべる皐月を見つめ返し、そしてゆっくりと目を細めた。
(けど、今は颯ちゃん以上に護りたい子が出来たから―――)
それに、颯太郎はもう大丈夫だ。この先もずっと、お互いを愛し支えあっていけるであろう相手がそこにいるのだから。そしてはるの隣で笑う颯太郎を見て、自分も安心して微笑むことができるのだから。これからも、自分は幸せな二人をいつまでも見守ってゆけばいい。
今の貴王に出来ることは、たった一つ、傷ついた気持ちを誤魔化そうと今も必死に笑顔を取り繕うとしているお姫様のそれを、本物の笑顔にしてやること。
「皐月ちゃん?」
「…ん?」
「んーん、何でもない。今日の昼休み食堂で食べよう思てんねんけど、一緒に食べへん?」
「もう、仕方ないわね。付き合ってあげるわ」
――――くすくすと笑う皐月を見て、貴王はどこか幸せな気分を味わっていた。
***
颯太郎とハルさんが初Hした数日後くらいの話です(笑)
これだけは言っておく!犬君の颯ちゃんへの思いは、恋じゃありませんよ!!(笑)
犬は根っからの女好き。
あれですよ、親友を恋人に取られてしまったような気がして切ないなぁみたいな…
颯太郎は何よりもハルさん優先!な人間ですから、寂しくなっちゃうのも当然かと…。犬、頑張れ!(笑)
何気に、犬と皐月ちゃんのノマカプも好きです。
普段は犬が尻に敷かれてるんだけど、
皐月ちゃんが弱った時にはしっかりと支えて上げられる良き旦那。お幸せに。
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