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2020年2月8日、千葉県流山市の近藤勇陣屋跡を見ました。
慶応4年(1868年)に新選組が本陣とした酒造家「長岡屋」(現・株式会社秋元)の跡地です。 新選組は文久3年(1863年)に京都で結成されましたが、鳥羽・伏見の戦いで戦死者を出し、甲陽鎮撫隊として甲州勝沼で官軍と闘うも敗れ、流山で再挙を図りました。 新選組の近藤勇は「大久保大和」、土方歳三は「内藤隼人」と名前を変え、流山の酒造家「長岡屋」を本陣としましたが、板橋の官軍本営は二人が偽名を使っていると見抜き、流山を包囲しました。 近藤勇は「大久保大和」として、官軍側に話をしに行きますが、近藤勇と知っていた官軍は、流山から板橋に近藤勇を連れて行き、斬殺します。土方歳三は流山で近藤勇と別れた後、東北へ行き、最終的に北海道の五稜郭の戦いで亡くなります。 株式会社秋元の店で、「本陣長岡屋」という極辛口の酒を購入し、家で飲酒しました。 手元には新選組に関する司馬遼太郎さんの本があります。「燃えよ剣」、「新選組血風録」に詳しく記載があります。 特に「燃えよ剣(下)」p261~p289の「流山屯集」、「袂別」に、流山での新選組の動きが書かれており、近藤勇と土方歳三が別れた場所だと分かります。 ↑ 流山市の近藤勇陣屋跡。 ↑ 酒造家「長岡屋」(現・株式会社秋元)の跡地。 ↑ 長岡屋 土台石。 ↑ 近藤勇。 ↑ 新選組 局長近藤勇、副長土方歳三 離別の地。 ↑ 流山の新選組と官軍の動き。近藤勇は矢河原渡から板橋に行き、斬殺される。 ↑ 矢河原の渡し跡。 ↑ 株式会社秋元の店。 ↑ 新選組 流山本陣跡の写真。 酒造家「長岡屋」(現・株式会社秋元)。 ↑ 近藤勇の写真。 ↑ 酒の秋元。 ↑ 株式会社秋元敷地内にある秋元稲荷大明神。 新選組が到着、陣立ての際、近藤勇、土方歳三らが戦勝祈願をした。 ↑ 矢河原(やっから)の渡し跡。 幕末、流山に駐屯した新選組隊長・近藤勇は、新政府軍に包囲されて出頭。盟友土方歳三と別れ、この渡しで流山を去った。 ↑ 江戸川。矢河原の渡し付近。 ↑ 「本陣 長岡屋」 ↑「燃えよ剣」、「新選組血風録」 司馬遼太郎。 ↑ 燃えよ剣(下)/司馬遼太郎/新潮文庫。 ↑「燃えよ剣(下)」p261~p289、「流山屯集」、「袂別」。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.03.06 04:40:12
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