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2020.04.16
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2019年3月2日夕方、上野公園から秋葉原まで歩きました。
途中には日本最初の喫茶店「可否茶館(かひさかん)」跡地の案内がありました。(東京都台東区上野1丁目1-1-10)
その後、五軒町の看板を見て、秋葉原で遊んで帰りました。

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日本最初の喫茶店「可否茶館(かひさかん)」跡地。
明治21(1888)年4月13日、日本人による初めての喫茶店が、鄭永慶(ていえいけい)別名・西村鶴吉により、現在の東京都台東区上野1丁目1-1-10に設立されました。2百坪の敷地に五間と八間の2階建ての木造洋館でした。
1階には「トランプ、玉突き、クリケット、碁、将棋」を揃え、また硯に便せんや封筒も置き、更衣室、化粧室、シャワー室、調理場などの施設の他に「内外の新聞、雑誌類、その他和漢洋書、書画を蒐集縦覧に供す」部屋を設け、二階が喫茶室で、丸テーブル、角テーブルを配置、椅子は籐でした。
コーヒーは一杯一銭五厘、牛乳入りが二銭であり、一品料理、パン、カステラなども出していました。ちなみに当時、「もりそば」は八厘でした。

設立者の鄭永慶(ていえいけい)は、近松門左衛門作の浄瑠璃「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」で有名な鄭成功(ていせいこう)の弟、七左衛門を先祖にもち、庶民のためのサロンとして、また知識も学べる広場(コーヒーハウス)とすることを理念としての開店でした。

しかし経営はうまくいかず、数年後に店を閉めることになります。





↑ 「可否茶館」の創業者・鄭永慶。当時読売新聞などに掲載された「可否茶館」の開業案内広告。



↑ ローソンのそばに、「可否茶館」の案内板がある。



↑ 日本最初の喫茶店「可否茶館(かひさかん)」跡地。


↑ 地図拡大。



↑ 上野公園から歩いていると見かけたタイル。(不忍池と弁天堂)



↑ 上野動物園のパンダ。

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「五軒町(ごけんちょう)」の案内。






↑ 五軒町。
江戸時代、この界隈には、上総久留里(かずさくるり)藩黒田家上屋敷(かみやしき)、下野黒羽(しもつけくろはね)藩大関家上屋敷、安房勝山(あわかつやま)藩酒井家上屋敷、播磨林田(はりまはやしだ)藩建部家上屋敷、信濃上田(しなのうえだ)藩松平家下屋敷(しもやしき)と、五つの大名屋敷が並んでおり、「五軒町(ごけんちょう)」と呼ばれていたのはそのためです。


↑ 「五軒町」界隈(安政三年:1856年)。


↑ 「五軒町」界隈 (平成15年・2003年)。



↑ 途中で見かけた「TrySail」の広告トラック。












↑ 秋葉原まで歩く。


↑ 秋葉原のドン・キホーテ。





↑ AKB48  岡部麟さん。





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最終更新日  2020.04.29 19:24:12
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