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星とカワセミ好きのブログ

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2021.07.22
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2021年7月22日、東京の半蔵門に所用があり、在日英国大使館周辺を歩きました。
英国大使館では「Innovation is  GREAT」の垂れ幕が目を引きます。イギリスの最先端技術、サービスを日本に紹介するキャンペーンです。オリンピックに関するパネルもありました。

英国大使館の周りに、歴史的紹介案内板や石碑があったので、紹介します。

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① 「アーネスト・サトウ公使の植桜の地」の看板

「アーネスト・サトウ(1843~1929)はイギリス出身の外交官です。幕末に通訳官・書記官として来日し、流暢な日本語を生かして討幕派だけでなく佐幕派とも広い交流関係を作りました。明治維新後、1870年(明治3年)に東京のイギリス公使館に赴任し、その後、バンコクやモロッコなどで公使を務め、1895年から1900年(明治28年~33年)には日本公使に任じられました。
1898年、サトウは英国公使館(現在の英国大使館)前の空き地に桜の木を植え、東京府に寄付しました。のちに、それが見事な桜並木となり多くの人々に親しまれました。
サトウの植えた桜は戦災等で枯れてしまいましたが、戦後再び付近に桜の木が植えられ、新たな桜の名所となっています。」

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② 「千代田区歌 佐藤春夫作詞」石碑。
詩人で作家の佐藤春夫氏が、千代田区歌を作詞しました。

「並ぶ官庁 広場 濠
帝(みかど)の宮居(みやい)とりめぐり
わが千代田区に誉あり
大東京の中心地
江戸の名残も風情にて
ここを都の都ぞと
澄めり千代田の城の月

オフィスセンタア テレビ塔
世界の文化ひしめきて
わが千代田区に栄あり
新日本の心臓部
国の要(かなめ)と他(ひと)も見む
ここを都の都ぞと
住めり千代田の区民われ」

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③ 「海嶽楼(かいがくろう)跡」看板。
儒学者である安井息軒(やすいそっけん)が住んでいた家で、富士山と東京湾が見えたので「海嶽楼(かいがくろう)」と住処を名付けました。

「1865年(慶応元年)、幕末の儒学者安井息軒(やすいそっけん)は半蔵門外の旗本伊庭(いば)家の屋敷に居を構え、西に富嶽(富士山)を望み、東に金杉の海が見える所から、海嶽楼(かいがくろう)と名付けました。
息軒は日向飫肥藩(ひゅうがおびはん:現在の宮崎県)の藩士の子として生まれ、1819年(文政2年)に大坂に出て儒学者の篠崎小竹(しのざきしょうちく)の弟子となりました。
1824年(文政7年)江戸に出て昌平坂学問所に入り、儒学者の松崎慊堂(まつざきこうどう)に師事します。
1839年(天保10年)、袋二番町(現在の千代田区1番町)に三計塾(さんけいじゅく)を開き、次世代を担う優れた人材を数多く輩出しました。1861年(文久元年)には、幕府に召し出されて儒官に任じられています。飫肥と東京にて門弟教育に力を注いだ息軒は、176年(明治9年)東京で亡くなりました。
なお海嶽楼は、1868年(明治元年)の火災によって残念ながら消失してしまいました。



(東京半蔵門の在日英国大使館)




↑「Innovation is  GREAT」の垂れ幕が見える。





↑ 東京オリンピックに関する英国紹介パネル。




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① 「アーネスト・サトウ公使の植桜の地」の看板











↑ アーネスト・サトウ公使。




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② 「千代田区歌 佐藤春夫作詞」石碑。








↑ 佐藤春夫作詩。







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③ 「海嶽楼(かいがくろう)跡」看板。








↑安井息軒(やすいそっけん)。









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最終更新日  2021.07.27 20:44:47
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