カテゴリ:国内旅行(中国地方)
2023年8月のお盆に、山口県に帰省する予定でチケットを購入していましたが、台風7号のため交通網が大混乱になる予想がでたため、キャンセルしました。
田舎の親が首を長く伸ばして待っているので、改めて帰省することにしました。 2023年9月15日早朝、妻と一緒に新幹線で東京から広島に移動します。 社会人の長男、長女は、それぞれ別便で移動し、山口県で合流することになりました。 母方の祖父母の墓が三滝にあり、墓参りのため広島駅で可部線に乗り換え、三滝駅で下車しました。 祖父は1945年8月6日原爆投下前後で、色々な体験をしたのですが、孫の私には話をしませんでした。 祖父が亡くなる少し前に、私が祖父に質問し、1時間程度、当時の事を教えてくれました。 内容については、このブログの中で少し記載しておきます。 三滝墓園で墓参りをした後、再び広島駅に戻ります。 往復は、JR西日本227系・ レッドウィング(Red Wing)に乗車しました。 広島は、どこにいっても広島カープの赤が基調色です。 ↓ JR西日本・可部線 三滝駅。 JR西日本227系・ レッドウィング(Red Wing)。 ↓ JR西日本・可部線 三滝駅。 ↓ 可部線。 ↓ 太田川放水路。 ↓ 三滝マップ。 三滝墓園に行く。 ↓ 三滝墓園。母方の祖父母が眠っています。 祖父は戦前、広島の中国憲兵司令部に勤務していました。呉上空で交戦して墜落した米軍機の米軍兵達を司令部内で捕虜としていました。祖父は毎日、米兵と会って話をしていたそうです。 祖父は米兵について報告をするため、原爆が落ちる数日前に、東京の司令本部に出張しました。そして東京にて、広島が爆弾により壊滅したとの情報を聞きます。 広島の状況を調査するように命令が出て、祖父はすぐに広島に戻ります。海田あたりで鉄道が不通になり、徒歩で広島市内に入ります。市内は建物がほとんど無く、海まで見渡せる景色にショックを受けたそうです。市内の人々悲惨な姿、そして死体の山々。夜は死体を燃やす火とリンによる人魂のような光を見て、涙が止まらなかったそうです。 司令部も壊滅し、勤務者も米兵も死んでいました。米兵の識別票のようなものを見つけました。(その後、GHQにそれを渡したそうです) 米軍機墜落で亡くなった米兵のため、祖父は墓を作ってGHQに報告したとのことです。 広島で調査を行っていたため、被爆したので、原爆手帳を持っていました。 もし祖父が原爆投下前に東京に出張していなければ、祖父は原爆で亡くなり、今の私はいなかったことになります。 祖母はその頃、岡山県の総社市に疎開していました。 色々な事がありましたが、祖父は90歳で亡くなりました。 ↓ 三滝駅に戻る。 ↓ 太田川放水路。 ↓ 横川駅。 ↓ オタフクソースの看板。 ↓ 本川。 ↓ 新白島駅。 昔は、広島城が見えたと記憶しているが、今は見えない。 ↓ 広島駅 ekieにて。 広島カープグッズ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.11.19 07:19:23
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