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「デルフィニア戦記」(茅田砂胡、中公文庫)全18巻。
インドネシア勤務時、「気分転換になる、なるべく長編の小説」を聞いたところ、読書家の友人たちに推挙されたのがこの本。 全18巻。 大人買いしてしまった...! 放浪の戦士と異世界の少女の出会いーから始まる異世界ファンタジーですが、「少女小説」とくくってしまってはもったいない、壮大さと躍動感を描くことに成功している。「指輪物語」よりはもっともっと軽いけれど、読んでいるときのスピード感やドキドキ感はあんな感じ。 だがしかし。 残念ながら途中で頁を刳る手が止まり、ど~も読みにくく、読めなくなってきてしまった。 つまらないからではない。面白い。 だけど、わたしには、どうも、ジェンダーくさくて。 どんなところが、というとまず主人公。 異世界からの少女。怪力(?)と不思議な力を宿す少女ですが、元の世界では少年だったということで、身体は少女でも、男性としてのアイデンティティをかたくなに守りとおします。 そういうものなのかもしれないけれど、でも逆にこの頑なさはなんなんだろう?と。 そして少女を巡る現世界の住民たちは、敵も味方も、これでもかこれでもかと少女を女性として扱うわけです。まあ外見がすごい美貌ですから、そういうものなのかもしれませんが。でもこのしつこさはなんなんだろう?と。 さらに主人公以外の現世界の登場人物たちは、ほとんど例外なく、くっついていきます。恋愛が実ったり、結婚したり、幸せにかたっぱしから片付いていく。 それを「よかったな。でも俺は別だから」と祝福しつつ眺めている主人公の少女(本当は少年)がいるわけです。 気がつかない人は全然スルーして楽しく読める物語だと思うのですが、しかしこの歳で少女小説とか読んじゃうと、純粋に物語を楽しむというよりも、それを書いた人やら背景やらにいろいろ思いをめぐらせてしまう。 多分発行当時は続きものだったのだろうし、読者をひっぱる意味で、こういう物語の展開・特色になっているのかもしれないけれど。 でもジェンダー(性差)的に、Break Throughしたい!でもできない!!というジレンマを、この物語(を書いている人)からは、ものすご~く感じてしまいました。で、結局Break Throughできていない。そこが、まあ、つまり、なんというか、うっとおしくて、読めなくなりました。 ここには「性」というものから自由になりたく、それでも絶対に自由にはなれない現世界(現実世界)というものが描かれているような気がする。 大人になると、また多くの男性には、なんのこっちゃというテーマかもしれませんが、これはある種の少女たちにはとても大切なテーマだと思うなあ。 でも残念ながら、この小説、もしくは今の日本の少女小説には、このテーマを打ち破るだけの力がまだない。(もしかしたらあるのかもしれないけど。。私が知らないだけで。。) 日本という社会のなかでは、「性差」なるものを打ち破り、もしくは調和し、自由に生きている現実の女性というモデルが描けないのかもしれない。日本に限ったことではないが。 少女小説とか少女漫画というものは、大体主人公がエラくもてます。で、主人公のおめがねに掛かる主人公外の少女にも、ときどき主人公のおめがねには掛からない男性があてがわれたりするわけです。 つまりステレオタイプのファンタジー内では、少女はがっつりその性を(マイルドにではありますが)謳歌しているわけです。 謳歌はしているんですが、うっとおしいとも感じているわけです。 享受はしたいけれども、自由にもなりたい。 享受するしないには、選択権はありますが、自由になれるということは絶対にない。ファンタジーの中においてさえ。 そんなわけで、楽しかったんだけど、 ちょっと憂鬱にもなった全18巻でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年06月11日 15時50分38秒
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