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カテゴリ:ひとこと
今日はちょっと自分と英語の歴史を振り返ってみたくて、こんなタイトルしてみました。

昨日のアセアン婦人会の集まりで、友人のフィリピン人から、「日本って最近経済が悪いみたいね~」と話しかけられました。そこから最近日本から仕事を求めてタイやフィリピン、シンガポールにやってくる日本人が増えた、という話に。そこで、「でもあんまり英語がしゃべれないみたいね?それはなんで?」との質問が。

知らないよ!

バイリンガルどころかヘタするとトライリンガルなフィリピン人やシンガポール人には、なんで日本人が日本語しか話さないのかが不思議に写ることも多いようです。それは日本語の文法が英語ととっても違うとか、漢字を覚えるのに精一杯(?)とか、文化とか、性格とか、いろいろあると思いますが、私は教育のやり方が8割、とは言わないけれど、6割がただろうなあ。と思います。個人の向き、不向きもあるでしょうし、あと、英語が苦手なのは、日本人だけじゃないやい!と声を大にしていいたいのですが…。

でもそんなことを今更声高にしても、日本人が言葉の壁のせいでグローバル競争の中で不利に立たされている状況は変わりません。企業の競争のみならず、今アジアの就職市場では、英語のまあまあ話せる日本人を雇うか、英語も日本語もペラペラのローカルを雇うか、という競争が起きています。せっかくいいものを持っているのに、言葉の壁があだになって、それを思うように発揮できない、というのは、個人にとっても社会にとっても、とっても損をしているように思います。

まあ、そんな不安はさておいても、英語が話せる、読めることはそれだけでも楽しいですよね。情報量も増えるし、ネットワークも広がるし、友達もできるし。

私も「しゃべれる」というにはおこがましいレベルですが、今はなんとか日常の会話をし、テレビでニュースやドラマを見て、新聞を読んで、英語でメールやレポートを書くようになりました。どうしてこういうことになったのか?をちょっと振り返ってみます。


1.初めて英語を始めたのは、小学1-2年生の時。
幼少英語は百害あって、一利なし。という学者さんもいるようですが、私としては、そうかなあ…?です。小1-2年は幼少じゃないかもしれませんが。
母が家で近所の子供たちに簡単な英語を教える仕事を始めたので、私もそれに混じっていました。子供があつまってわいわいぎゃーぎゃー(笑)歌を歌ったり、カルタをしたり、ゲームをしたり…という内容でした。思い起こすにこの子供のときのカルタはけっこう役に立った。ものすごく簡単な、AppleとかBananaとかいう言葉なのですが、これを小学校で覚えるのと、中学で覚えるのでは、ぜんぜんその後の苦労が違います。英語にもレベルがあるので、簡単なレベルは小学校低学年からはじめるべきだろうと思います。
なんだかんだで中学にあがるまでは、母から英語を教わっていたような?(記憶があやふや…)

2.中学、高校の英語の授業
受験前には塾にも行きましたが、ほぼ学校の授業だけだったような?
役に立ったのは、教科書の丸写しと声を出して読むこと。まさに地道な、農耕民族丸出し勉強法です。とっても効率は悪いので、受験向きではありませんが、その後英語で手紙やレポートを書いたりする段になると、役に立ったように思います。構文とかがなんとなく体に染み付いているんですね。でも受験は別です。
あと、そんなに続かなかったけれど、近所の外人さんに英会話を教えてもらったり。
それからNHKのラジオ英会話。これはけっこうよかったです。続けるのが大変なんだけれど、テキストとしては、秀逸では。

3.大学~就職
大学時代も英会話学校に行くこと(だけ)は続けていました。つまり、本当に細~い糸ながら、英語とのお付き合いは小学校低学年のときから途切れたことがなかったのですね。British Councilとか、日米英会話学校に行っていました。
それから初めて、イギリスに英語短期留学をしました!1ヶ月くらいだったかな?なつかしいな~ シェークスピアの生家のあるStratford apon Avonというところでした。以降、すっかり英国ファンに。

4.就職~留学
就職してから急に、「このままではいけない!絶対留学する~!!」と息巻き始めました。一体大学4年間は何をしていたのか…(泣)自分の娘だったら、ぶっとばします。
週末英会話学校に通いながら、通勤電車の中で英語のテープを聞いていました。CNNとBBCのテープ(当時…)を試しましたが、BBCのほうが、レベルが徐々に上がっていくつくりになっていて、よかったです。これをレベル1~55まで聞きました。自分に得意な勉強法というのを見つけるべきで、私はわりと耳から入れて覚えるのが好きだったのですね。なので今だにスペリングがあやふやだったり。
留学準備のために、TOFLE取得のための学校に行きました。形は違っても、また受験準備ですね。ボキャブラリーは増えたかも。(増えないと困る)

5.留学中
イギリスのとある大学の修士コースに留学しました。本当に。よくぞこんな無謀を働く…という感じでした。最初の半年は、いくらなんでもこれはムリだった…と思って、毎日泣きながら勉強していました。(そして頭に血が上って、ますます分からなくなる、と。)
言葉の壁がまず第一なのですが、プレゼンにも、ディベートにも、リサーチにも、アカデミックな表現というものに全く慣れていなかった。しかし後悔先に立たず。自分で海に飛び込んだからには、なんとか泳ぎ渡らなければなりません。。どうにかこうにか周囲に迷惑をかけつつ、リサーチを実施し、論文を書き上げました。
辛かった…でも楽しくもあった。友達もできたし、ボーイフレンドもできたしね(^^)

6.また就職
帰国してから就職活動。とあるNGOに就職が決まり、日本勤務10ヶ月の後、ミャンマーに派遣されました。(英語の歴史を述べていたつもりが、ただの自分史に…)
ここで初めて!英語を少しは「使えるようになった」という感じがしてきました。長かった~~…。
スタッフとの会話が英語ですし、スタッフと共有するための文書の英語ですので、鍛えられたのでしょう。しかもあんまり難しい英語をしゃべらないし。。お互い。

7.結婚~
ミャンマーにてシンガポール人の今の夫と知り合って、結婚。
「日本語を勉強するよ!」というプロポーズ時の約束が今だ果たされず、英語にて生活中。


そして今に至る。
改めて振り返ってみると、なんという役に立たない英語史でしょうか…。要領悪すぎ。
それでもひとつおススメできるのは、子供のときから「英語に親しんでおく」ということかな。アルファベットとか、簡単な挨拶、単語でもいいので。得意な子だったら、どんどん先に進んでもいいでしょうし。

それから、続けること。時間をかけること。

でも、それはやっぱり英語の「勉強」であって、勉強は「準備」なのですよね。
使えるようにするためには、やっぱり現場に飛び込んでいくこと。場数を踏むこと。

子供のときに英語をやりすぎると日本語の勉強に差し支えがある、という意見を聞きますが、うまく分割すればそんなことはないと思います。日本語はもっと身に染み付いたものだし、国語はまず本を読むことだし。中高のときに感じたのですが、英語を勉強すると、日本語もより論理的になるような気がします。(英文だから論理性があるというわけではありませんが)


で、夢を見るようになったかというと、なりましたね。
まあ、何を言っているのかは、やっぱりよく分からないのですが。


















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Last updated  2010年03月19日 16時05分16秒
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