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カテゴリ:六十六部供養塔始末
昨日家から王子方面へと歩いている時に見つけた光景がある。 家から岩淵街道と呼ばれる古い街道筋に沿って歩いて行った。 これは太田道灌も通った道であり江戸の将軍が日光に参内する時にも往復した街道である。 自然その街道沿いには古い神社仏閣などが残っていて庚申塔やお地蔵様などにも会える。 今日のは告発文だと書いた通りはっきりと場所が解るように住所も明記する。 私がその驚くべき光景を見つけたのは東京都北区中十条1丁目27番地である。 岩淵街道に面したその小さな陽だまりに古い供養塔を見つけた。 今まで何回も通っていながら気がつかなかったのに驚いた。 塀に囲まれて小さい敷地にこの供養塔は長い年月人々の祈りを守ってきたはずである。 回り込んで何とか判別出来た文字は「奉納六十六部供養塔」 また反対側には大き目な文字で「天下泰平」と「国土安全」 更に築造年として享保○年十月二十五日 講中とあった。 ○の部分はどうしても読み取れなかったのが残念であるが 享保年間と言えば今からざっと270年以上前の事だ。 細かい資料の探しようが無いのだけれども270年以上前にこの地域の者かまたは この街道を往来した者に由縁の講かとにかく平和と安全を祈願して建立した供養塔である。 昔の旅は水杯で別れて出立した程困難の多い事で道中には危険が多かったであろう。 途中で息絶えた者もさぞ多かった事だと思う。 何故に告発するなどと激しい事を書いているか? この供養塔の真前が生ゴミの集積地にされゴミ袋が山積みに重なっていたからである。 そのゴミも含めた写真を撮り忘れたのが残念だけどとにかく腹が立った。 あまりにも無関心な情け無い事をするのだろう。 古くて今現在の自分の生活に関係が無ければこういった場所をゴミの集積場にするのか 情けないやら申し訳ないやら哀しいやら、近所の人達にしたら便利だから平気なのだろうか 自分の敷地やその近くに置かれると嫌だからあの供養塔の前なら誰も文句は言わないってか なんらかの働きかけをしなければいけないと考えている。 私には伐られた神社のご神木と同じように供養塔にも心があると思えるのだ。 これは宗教的な気持ちでも何でも無い。 それでも畏れを知らぬというか無礼ではないかと憤りが止まらないのだ。 この場で祈りをささげたであろう数知れない人達の気持が生ゴミの下で喘いでいる お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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