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くりごと

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2007年09月11日
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カテゴリ:散策・紀行など


9月2日の朝9時17分発の南風10号で須崎を発った。
列車が出発するまでYちゃんのお母さんとYちゃんと息子が改札から手を振ってくれて、何やら晴れ晴れしい旅立ちである。バイバイ

前日の大雨に煙った景色と一転、この日は朝から太陽が顔を出しすでにかなりの蒸し暑さだったけど車内は快適である。電車

昨日の道筋を反対から辿って行く。
単線の線路なのだから当たり前だあっかんべー
平野部からだんだんと高度を上げていた頃に信号停車があった。
何気なくすぐ横のアカメガシワの木に目を止めるとこんな奴を見つけた!!


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大好きなカミキリムシ!!ちょっと小さいけれど解るだろうか?


夫に告げると素早い動き、この時ばかりは急いで写真を撮ってくれた。
何時信号が変わって動き出してしまうのか解らないし、またガラス越しの撮影である。
カミキリムシはそれほど大きな奴じゃなかったけど嬉しい邂逅だったちょき



いきなり景色が暗転し長いトンネルに入ったと思うと、抜けた場所は既に山地の真っ只中。地下鉄
列車はどんどん標高を上げるように突っ走って行く。

この日の予定では阿波池田駅下車である。
この旅に出る前に何回も途中1泊で立ち寄れてしかも四国を満喫出来る所はないかと思い、土讃線の駅を一つ一つ検索して調べまくって来た。
そして目についたのが祖谷渓谷周遊の旅だった。

祖谷渓谷あたりは山高く谷深く、昔から平家の落人が逃げて隠遁生活をした場所として有名である。
ちょうど四国交通が行っている定期観光バスというのを見つける事が出来て、早速電話して予約を入れておいたのだった。

この定期観光バスはユニークな事に古いボンネットバスを使っている。
板の床で座席は低くクーラーも無い。
パワーステアリングではないので運転には(特にカーブの多い渓谷の道では)かなりの労力と技術が必要だそうだ。バス


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昭和40年代からのボンネットバスちょき


急カーブの多い祖谷街道では新式の長い大きな観光バスでは通れない道が多いそうで今でもこの古いバスが走っているそうだ。
でも古い歴史の隠れ里のような風景にはワッショワッショイと山道を登るボンネットバスはとても似合っていて郷愁を誘う想いであった。



さて、予定通り南風号は11時09分に阿波池田駅に到着した。
四国交通のバスターミナルまでは数分歩かなければならないし、定期観光の出発は11時30分である。
その前に手続きをしたりとあまり時間が無いのがひどく心配だった。

バスは約5時間の周遊観光を終えたら再びこの駅に戻って来るけれど、私達はこの日の宿を少し手前の大歩危祖谷阿波温泉に予約を入れてあったのだが、帰路途中そのホテル近くで下ろしてくれるとの事だった。
狭いボンネットバスに前日からの荷物を持ち込むのは大変である。仕事かばん
手提げ袋にこの日の着替えと化粧洗面道具など必要最低限の物を移し、残りの旅行バッグを阿波池田駅のコインロッカーにしまっておく事にした。鍵
どちらにしても次の日帰京する時にはこの駅から電車に乗らなければならないのだから。ちょき



駅前にはアーケードのついた商店街が続いているのだけど殆ど開いているお店が無く閑散としていたけれど、昼前のまだ午前中の明るい光の色のなかでは寂しそうには見えなかった。晴れ

四国交通のバスターミナルは駅からちょっと歩いた大きな新しいショッピングセンターに併設されていてすぐに見つける事が出来ホッとした。
すぐに手続き、大人1人5200円なりさいふ
これにはバスの乗車賃以外にお昼代、大歩危渓谷でのライン下り代、かずら橋を渡る料金、ラピスミュージアムの入場料、そしてバスガイドさんのガイド料すべてが組み込まれているのだから決して高くはないと思う。



観光のコースは: 阿波池田バスターミナル右矢印大歩危峡舟下り(昼食)右矢印石の博物館(ラピス大歩危)右矢印平家屋敷右矢印かずら橋観光右矢印小便岩・祖谷渓谷(街道で最も高い場所)右矢印バスターミナル、という予定になっている。



3月から11月終わりまで毎日運行されているけれど定員30人ちょっとくらいの大きさなので予約が必要である。
そしてその順番で席が決まってしまう為、予約するのが比較的遅かった私達は最後の2席を取れたのはラッキーだったけど、窓側の私の席はなんとタイヤで盛り上がった床の上、足を曲げて膝を抱えて身動きも出来ないような窮屈さで笑えた雫

クーラーが無くて暑かったけど、湿度が低かったのか天井に回る小型の古い扇風機がぎくしゃくと回ってた。
ターミナルを出てすぐにあの甲子園で有名な池田高校の横を通った。
こんな鄙びた場所の高校球児達が活躍していたんだと驚く野球ボール


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いよいよボンネットバス観光の始まり。
まずは大歩危小歩危の急流を見ながら舟下りの場所までのドライブ。


大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)という名は「足場の石の間隔が狭く大股で歩いては危ない大歩危、足場の石の間隔が広く小股で歩いては危ない小歩危」と言われた事からだと聞いた。
とにかく深い谷底を吉野川が流れ、人の住むのはずっと傾斜の上の方であり、時には信じられない程山の高い場所に家が点在していたりする。


レストランまんなか、という店の下から大歩危峡の舟下りが出ている。
まんなかというのはこの辺りが丁度四国の真ん中の位置に当たるからで「四国のへそ」という表記もあちこちで見た。OK


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建物のある街道のレベルからはかなり階段を下りないと川岸には辿り着けない。
雨で増水した時にはこの舟下りは中止になるという。



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乗客は危険なので船底のゴザに座る事になっている。
この写真では解らないが両側はかなり切り立った絶壁になっている。
澄んだ綺麗な水だけど深さは4‐5mもあるそうで碧く深い色を湛えている。



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愛媛県の石鎚山(四国最高峰)を源とする吉野川の両岸に褶曲で斜めにせり上げられたような層を見せる礫岩片岩は県指定天然記念物に指定
されている。
火山による変成岩とは色も性質も著しく異なる景色を造っている。



吉野川は深い場所では碧い水を静かに湛え、岩が多い場所では白いタテガミを振るうかのような急流を形成している。
澄んだ水には魚影があちこちに見られ、岸には何所にもゴミが落ちていない清潔さだった。
深い谷になっているが台風後の増水時にはこの日の川面から10m以上も水位が上がる事があるそうで自然の脅威に驚いた。
そしてそんな変貌を見せる自然と共存の道を選んだこの地の人々に敬意を表したいと思った。



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四季折々に美しい彩りを見せてくれる大歩危峡。
秋の紅葉時には観光の車が渋滞するほど押し寄せるそうだ。
葉



次に向かったのは石の博物館「ラピス大歩危」。
これはどんな観光地にもあるちょっと?って感じの場所だ。
それなりに真面目に色々な鉱石を紹介しているけれど、観光バスが来なければ果たして入館者がどれくらいになるのか心配になるような所。ブーイング



バスは国道から県道へと吉野川にかかる橋を渡って曲がり、道はそこから更にくねくねと急な山道を登って行く。
ガイドさんが自慢するだけあり運転はとても上手で揺ぎ無い。



次に行くのは平家屋敷(民族資料館も兼ねる)である。
この家の祖先は堀川内記といって安徳天皇の御典医として宮中に仕えたが、平家の都落ちの際、安徳帝を供奉して屋島に逃げた人だそうだ。
平家滅亡後、残党と供に祖谷に逃げ落ちやがてこの土地の薬草を採取して医業を施すようになり神官も兼ねたという。


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資料館自体は古い道具など大して珍しい物が並んでいる訳では無かったが、囲炉裏の上の黒く煤けた太い梁や燻られて黒光りしている竹の棚など生活の跡が見られる家自体の方は大層興味深かった。

平家の落人伝説と言われるが今回実際にその逃げて来た場所を見て非常に驚いた。マル秘
いくら追っ手の追及が激しく恐ろしかったとしてもこれほどまで遠く深い山の奥へ奥へ、そして更にずっと奥へと逃げなければ安心できなかった恐怖心とはどれ程のものだったのだろう。台風

源氏の追っ手そのものよりも逃げ落ちる者達を捕らえ褒章をもらおうと手ぐすね引いていた農民の方が恐ろしかったのかもしれない。

今でこそ車で上がれる道が通っているものの少し前までは歩いて登る以外に道は無く、ちょっとした集落へ降りるにも大層な困難があっただろう。
隠れた人々は800年に渡り今でも「八幡大菩薩」と書かれた平家の赤い旗を大切に保存しており、わが身に流れる血への矜持と誇りで辛い生活と恐怖を克服してきたのだろうか。
急な山の斜面にポツンと離れて一軒ずつあるような場所で、人々は煙草やお茶を栽培し、山の自然の恵みを貰って命をつないで来た。

こういった高い場所にある家の横手や裏手にはその家のものらしきお墓が見えている場所が多かった。


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家の下にはこんな可愛らしいポストがあった。
郵便制度が整った明治5年以後はこんな山の上まで届く事が可能になったのだろう、運んぶのにどれ程の苦労をしたのだろうか・・・
郵便局雫

ひっそりと隠れるように、自然との闘いと共生への努力と苦労をしながら数え切れない程長い時間を生きて来た人々が実際にいた証の平家の落人伝説の村は私に言葉に出来ない感慨を与えた。
それは歴史浪漫などとパンフレットに書かれるような優雅なものでなかった筈である。



次に寄ったのが有名な「かずら橋」である。
この辺り最大の観光スポットになっているけれど、この橋の存在の仕方自体が平家落人と深い関わりがあるのだ。




‐ 続く -








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最終更新日  2007年09月11日 22時14分18秒
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