全て
| カテゴリ未分類
| こころ・身体
| 気持ち
| 趣味や好みなど
| 生活環境/季節
| ふるさと
| 六十六部供養塔始末
| 文化・伝統
| 思い出
| 吟
| 散策・紀行など
| 放射能汚染・原発
| 七二会
| 自分
| りんりん
| 温泉など
| 動植物
| 民泊問題
カテゴリ:散策・紀行など
さていよいよ有名な祖谷のかずら橋を渡る事になった。 この橋は、平家一族が追っ手から逃れる為に何時でも切り離せるようにとシラクチカズラという植物で造ったと言われている。 現在では3年に一度の架け替えが行われている上カズラの芯に丈夫なワイヤーがちゃんと入れてあるので安全面に問題は無いそうだ。 祖谷川の川面から約14m上空に架けられていて全長45mである。 そんな知識だけから想像していたので何とか渡れるだろうと軽く考えていた私は大間違いにやがて気付く事になるのだった 橋は一方通行になっていて観光客がゆっくりそろそろと足を踏み出して行く。 踏み板の間は以前は20cm以上あったのが現在は15cmくらいになっているから恐くはありませんよ、とバスガイドさんが言っていたのに安心して川の上流の景色がきれいだなどと言いながら私も数m踏み出していた 隙間のある板だろうと思っていた足元なのだけど、何だこれは まるで拍子木のような角材、棒じゃないかっ 土踏まずをその棒に一歩一歩乗せて歩こうとすると隙間から遥か下に白い波を立たせた瀬になった川面が見えるしっ え゛~~ 手で掴まる部分のカズラのロープは外側にグンとたわむぢゃん そんなの聞いてないよ~~~ もう絶対足元も外側の景色も見ない事にした・・・見る余裕がなかった ただひたすら足元の棒状の板と、内側に思いっきりひっぱりながらしっかりと掴んだカズラのロープだけを見てソロソロと一歩ずつ進むしかなかった 後ろから来た人に「奥さん随分腰が引けてるよ」と大笑いされたって知ったこっちゃない 恐ろしさから吐き気すら催すくらい、冷や汗びっしょりの永久に続くかと思われる程の長い時間だったのだから あんなにおっかない思いをした事は無かったかもしれない 私の前の前にいた男性は前の女性達の友人らしくさっさと渡って彼女達を怖がらせたいのか橋を揺らした不届き者だった もちろん「揺らすな」と怒鳴りつけてやったのさ 死にそうに恐ろしい思いをしたけれどカズラ橋を渡ったのがこの旅の一番のメインイベントみたく最高の思い出になった しかしよく誰も橋から落ちたりしないものだと思う。 バスガイドさんも落ちたという話はしていなかった。 ただ年寄りの女性数人が橋の真ん中でうずくまって動けなくなり、係り員が救助に向かい彼女達をおんぶして渡ったという話をしていた。 いくら仕事でも慣れていたとしてもあの揺れる橋を人をおぶって渡るなんてもう神技にしか思えない。 今頃はサルティンバンゴとかに出ているかもしれない。 カズラ橋はひっきりなしに訪れる人々で賑わっていた。 周囲の景色の素晴しさにスリル満点の味付けがあるのだから当たり前だ。 でもここにもゴミが落ちていたりの興醒めする光景は見られなかった。 そんな清潔さが本当に嬉しい旅路だった。 カズラ橋を渡りきって数十m川の上流へ歩くと「琵琶の滝」がある。 昔、平家の落人達が琵琶を奏でながら身の上を慰めあった場所だと伝えられる高さ50mの優美な滝である。 この人はなかなかどいてくれずにしょうがなく写真に写ってしまった人。別に琵琶を弾いていた訳でも枇杷を食べていた訳でも無いけれど。 滝の周りは湿度のせいで苔が一面の生していてエビネランの自生も見られる珍しい場所だった。 滝の音は嫋嫋として人のざわめきを消し、ついでに時も消して深い山奥へと逃げ続けた人々の思いを今に伝える。 カズラ橋と平行に架かる橋から。 紅葉の時期に見たいと思うけどもう渡らないよ・・・ カズラ橋を過ぎてボンネットバスはゴトゴトと細い山道を祖谷川の渓谷沿いに更に登って行く。 祖谷川は四国第二位の高さを誇る剣山から流れ出て四国山地を鋭く刻みながら約20kmに及ぶ壮大な渓谷を形成している。 まだ夏木立の様相で深い緑の山々だったけど、よく見れば様々な広葉樹が見られ秋の紅葉時の素晴しさが想像出来る。 祖谷街道と呼ばれるこの道は細い上に曲がりくねっており片側は200m近い断崖絶壁でガードレールも無い ボンネットバスの長さ大きさだからこそ来られる場所なのだという事が実感として理解出来る。 私の座席の窓の外は谷底だったりするのだから 祖谷川がぐるりとめぐる国見山の稜線。 生憎逆行で揺れるバスからなので絶好ポイントで撮れなかった。 今まで目に慣れていた火山形成の山々は皆、溶岩流のせで裾野が長いものであったけど、四国の褶曲形成の山々はだんだんと高くなるような姿ではないのが不思議だった。 いきなりぐっと高度を増して高い山になりそこを深く切れ込んだ谷を川が形成して素晴しい風景を作っている。 何回も書いたけど、この火山と褶曲山地の違いの大きさが私にはとても大きな印象となって残っている。 バスはやがて祖谷街道の最高度ポイントに着いた。 そこにはこんな像が立っている 街道中一番の難所と言われ、昔は旅人が度胸試しにオシッコをした事に因んで200mの断崖に小便小僧の像が立てられたそうだ 下は物凄い深さで見るのも怖い程 本当にこんな所でオシッコ出来るのか信じられない。 恐ろしさに縮こまってオシッコが出ないんじゃないのかしら? ちょうど西日が当たる場所をバスはゴトゴト進んで行き、やがて街道は少しずつの下り坂となる。 祖谷川が吉野川と合流した辺りにある祖谷口橋を渡り、ちょうど大きく一周して戻った事になる。 阿波池田駅に戻るボンネットバスをその日泊まる予定のホテル登り口で降ろして貰い、ガイドさんや他の乗り合わせた人達に手を振って別れた。 泊まったのは元は簡保の宿だった施設を民営化して再生したホテルで「ホテルあわの抄」という温泉宿だ。 高台にあるので非常に窓からの見晴らしが良く清々しい景色を堪能する事が出来た。 ここはナトリウム炭酸水素塩泉で、火山地帯では無いので(この辺り全部の温泉が)湯温は高くなく37℃くらいのを沸かしているらしい。 湯質はぬめり気があり非常につるつるすべすべして気持ちの良いお湯だった。 食事の写真を撮り忘れたのが残念だけど量も多く色々な食材で食べきれない程だったのでとても満足出来た。 とっぷりと暮れた闇の中、深く高い山の上に民家の灯りが瞬く。 あんな高く遠い所まで住み着いた人々の昔の苦労多い生活を思う。 ホテルの部屋から見えた朝の風景。 高い山から差す陽はあちこちに山の影を作りながら徐々に広がって行く。 この日も朝から大層暑かった。 ホテル前からバスで阿波池田駅に向かい岡山行き南風号を待った。 岡山での新幹線のぞみへの乗り換えもスムーズに行き、平日だったので指定席券がなくても充分座れて東京へ戻る事が出来た。 帰りの新幹線の中で食べたお弁当。 両方とも名前を忘れてしまったのが残念 帰りの新幹線では大阪で左側の席が空いたので急いで移り、行きと反対側の窓にへばりついて景色を楽しんで戻った。 残念ながら富士山はこの日も眺める事が出来なかった。 そしてずっと見続けて楽しもうと思ってた帰りの車窓なのに、気がつくと結構居眠りしていたようである 新幹線を降りて家に帰り付くまでに何度も吟の事を話した。 たったの2泊3日でも吟が堪らなく懐かしくなっていた私達だった お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[散策・紀行など] カテゴリの最新記事
|