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カテゴリ:文化・伝統
鎌倉時代初期に運慶によって彫られたと言われる大日如来像が、クリスティーズがニューヨークで開いたオークションにかけられたそうだ。 アサヒコムの記事 国宝級の仏像だけど重文指定がされていなかった為、オークションにかけられ海外のコレクターからも垂涎の的となっていたそうだ。 運良く(?)三越が代理人となって国内の顧客によって落札されたそうだけど、仏様が単なる美術品として売買に出されたり、個人蔵としてしまい込まれてしまうのかと思うと何とも寂しい気がしてならない。 大日如来様がどんなに素晴らしい美術品と価値をつけられようが、人の祈りの対象として存在して来た信仰の対象物だからだ。 このような違和感は以前上野の国立美術館で百済観音像を拝見した時にも感じた。 国宝にもなる素晴らしい彫刻であろうが、一度形を成した物には心が宿っているような気がしてならない。 長い年月の間に数々の人々が願い祈った仏像だから美術品であってももっと尊い何かを求めたくなってしまう。 今回落札した人が、記事にもあるように「国立博物館に寄託するなどして鑑賞の機会」を作るのなら嬉しいけれど、供養はどうするのかなぁとぶつぶつ思い込んだ一日だった。 何となく大日如来様が可哀想でしょうがない・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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